価値[再]創造

創価学会における素晴しき体験と
めぐり合った会員や幹部との思い出を基に
価値観を再構築していきます

学会員の風景 第6回

【第6回:大逆転する学会員の判断】

今回は,短いお話を4本.ほとんどギャグです.すごくデフォルメしてますが,活動家学会員の人を見る目のエッセンスを取り上げたつもりです.

【信心しているかしていないかだけで,見方が変わる】

和子「常勝地区の佐藤さん,先週,事故起こしちゃったんですって.ひとり相撲らしいですけど.知ってました?」
敬子「えっ,知らなかった.まあね,そういうことが起こっても不思議じゃないわ.会員のくせに,批判ばっかりしてるんだもの.仏罰よ.現証っていうのはほんと,こわいわね.かわいそうに,地獄への道まっしぐらじゃない」
和子「いやあ,それがね,奥さんが言うには,ここ最近,勤行をするようになって,聖教新聞も読むようになってきてたんですって」
敬子「あら,そうなの.だったら魔の所為だわね.人身事故にならずによかったわね.転重軽受よ.信心に目覚めたから,軽く済んだんだわ.お見舞いに行ってあげましょう」

【学会を理解してくれているかどうかだけで,見方が変わる】

敬子「この間,あなたのところの町内会長さんが挨拶されているのを聞いたんだけど,立派な方だったわ」
和子「なに言ってるんですか.あの人,大の学会嫌いなんですよ」
敬子「そうなの.なんだ,良い人だと思って,損しちゃった.そういえば,人相があんまり良くなかったわね」

【聖教購読や公明支持をするかしないかだけで,見方が変わる】

敬子「あら,髪切ったのね.とっても良い感じだわ.どこの美容室に行ったの?」
和子「この前の道と大通りとの角にある,○○美容室です」
敬子「えっ,なんであんなところに行ったの? あそこの美容師さん,共産党大好きでしょう」
和子「それが,近頃は共産党に厭き厭きしてて,今度の選挙は公明党を考えてもいい,と言ってくれているんです.聖教も啓蒙できたんですよ」
敬子「そうなの.どうりで,最近あの店,お客さんが増えているなあと思ったのよ.やっと分かるようになってきたのね.いやあ,本当にきれいな仕上がり.私も行こうかしら」

【付録:どんなものでも,池田先生が書いているというだけで絶賛】

敬子は,友人の里美の家へ.里美はちょっとしたいじわるを.

敬子「何読んでるの?」
里美「ちょっとスピリチュアル系の本のコピーよ」
敬子「相変わらず,その手の本読んでるのね.根本が変わらないとダメなのよ.どんなこと書いてあるの.ちょっと見せてよ」
里美「いいよ.はい」

といって,小冊子にまとめてあるコピーを手渡す.

敬子「トルストイのことか.まだまだ浅いね,この著者.ダメよ,こんな本読んだって」
里美「あの?,これ池田大作さんが書いてるんだけど」
敬子「えっ.なんだ早く言ってよ.一部分のコピーだから,わからなかったわ.実を言うとね,視点が似ているなあと思ったのよね.いやあ,ちゃんと読まなかったからわからなかったけど,よく読むとすごいこと書いてあるわね.うん,すごい」
里美「うそよ.わたしが学会の本なんか読むわけないじゃない」
敬子「えっ.だまさないでよね.先生が書いているっていうから,すごいと思ったのに」
里美「所詮,あんたの理解なんか,そんなものっていうことよ.池田さんが書いているかどうかだけ.中身はどうだっていいの」

罵り合いはしたくない

「学会における様々な問題は,学会幹部のせいで,池田先生は悪くない」と言う学会員の意見をたまに聞きますが,わたしはそうは考えません.池田先生の言動は,問題を大きくしていることが多いですし,それを見て見ぬ振りをする各々の学会員にも責任があります.

学会員はとにかく池田先生を絶対神聖なものと見たがるので,実はそうではないのではないかという問題提起をいくつか書いてきました.良く見られていない聖教新聞に関することも,その一つです.こうした問題提起から,まず学会員が池田先生絶対という思い込みをやめ,冷静に学会を見詰められるようになれれば,わたしは嬉しく思います.

池田先生が信仰対象であるのなら,わたしはそういうことは言いません.事実,学会員全員が「池田先生は信仰対象じゃない」と言い切ります.人間が絶対であるわけがないのです.しかし,池田先生の過ちを指摘すると,学会員の中には「信仰対象が絶対でない」と言われたと思ってしまう人がたくさんいます.

「聖教新聞は池田先生からのお手紙」と言われるくらいなのですから,「聖教新聞が酷いのは池田先生の責任」であることは確かです.「平和」や「友情」を語るのは表向きのポーズで,普段の聖教の端々に先生の本音が見えています.それが違うと言うのであれば,代わりの意見,別の理由を挙げて,否定してもらってもかまいません.わたしは,納得できる意見には素直に共鳴する人間です.

別の意見を言葉で表現せず,「否定したい」という感情を先行させて,とにかく相手を否定し貶すということだけはやめて欲しいのです.聖教新聞のそういう手法が問題になっているのです.聖教によると,日本は「精神後進国」らしいのですが,相手をそうやって罵るという醜態が,嘲笑されているのです.

それから,「池田先生からのお手紙」である聖教新聞に毎日書かれている言葉には,世間ではあまり使うべきではない表現がたくさんあります.聖教新聞に書かれているからと言って,簡単に世間で使うことは控えましょう.対話もせずに,相手を上から見下ろす言葉を吐いて,空虚な悦に入る態度を見直しましょう.お互い理由も述べず,「おなたは浅い」「いや,あなたの方がズレている」「いえいえ,あなたこそ生半可だ」「のたれ死ぬ(by 寸鉄)のは,あなただ」と言い合っても仕方ありませんよね.これではまるで,学会と宗門の喧嘩になってしまいます.何も生み出すことができません.

多様性

わたしは旅が好きです.旅行は,いろんな初体験ができるからです.昔,友達と長期の貧乏旅行をしたことは,とてもいい経験になりました.

学会員でありながら,バチカン市国の中を見物したり,カトリックのミサに参加したり,プロテスタントの礼拝に参加したり,イスラム教徒のお祈りの様子を見物したりしたものです.国内でも神社・仏閣巡りをよくします.世の中,本当にいろんな人種,言語,宗教,習慣があって,その多様な組み合わせの一つ一つの生活の中で,みんな同じように喜怒哀楽を表現しながら生活していることを実感しました.

誰も創価学会を知らないし,誰も池田先生を知らない社会がたくさんあります.世界のほとんどがそうでしょう.学会が支部結成を発表したはずの国に,誰一人学会員がいないことも知りました.学会員がいると言っても,多くは現地在住の日本人か,日系人であることも知りました.学会や先生を知らなくても,楽しく生活している人々に対して,無理に特定の宗教を押し付けることに意味が見出せませんでした.

そういう社会を見たとき,広宣流布が絶望的であるといった負のイメージは,不思議と湧きませんでした.むしろ多様であることの面白さや新鮮さといったイメージの方が強く残っています.

逆に,学会組織に戻ってみたとき,そのあまりにも画一化された空間に,絶望的なものを感じてしまいました.幹部はみな型にはまり,学会員はみな同じ行動様式に則って動いています.同じものに喜び,同じものを嫌うよう強制されています.学会員にはいろんな人がいるといいますが,他の社会に比べたら,とても多様性は低いです.

社会も生物も,多様であるが故に成り立っています.多様性を失わせるような運動が,果して正しいと言えるのでしょうか?
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