価値[再]創造

創価学会における素晴しき体験と
めぐり合った会員や幹部との思い出を基に
価値観を再構築していきます

絶対的な人間

世間の感覚からズレた聖教新聞の表現,将軍様の国を連想させる表現を,なぜ学会が続けるのか考えてきました.本部に勤務する複数の人が挙げる理由として「池田先生がやれと言っているから」というものがあります.こう言われると学会員はもう何も言えなくなります.

わたしの友人が創価学会とは無関係な,とある学術会議に参加したとき,学会員の参加者がしつこく何かを主張していたそうです.他の参加者がその学会員にそれは何故かと理由を尋ねたところ,学会員は「池田先生が言った」と答え,大いに失笑を買ったそうです.わたしはそれを聞いたとき,バリバリの人ならさもありなんと思いました.

「池田先生が・・・」という切札は,学会員の中では題目より効果があって,どんな矛盾も(一見)解消する力があります.こうした「池田先生絶対神」信仰が池田教と呼ばれる所以です.例えば,学会員が学会について質問を受けたとき,多くの場合「池田先生の本を読んでください,思想を勉強してください」と答えます.そこには自分の言葉がありません.「池田先生が」「池田先生が」と言う題目に聞こえます.学会の外では全く通用しない題目です.

ところで,老いた池田先生が組織の全てを指示しているとは思えません.絶対神ではないのですから,五感から入ってくる情報以外を知ることはできません.池田先生に整理した情報を渡しているのが第一庶務と呼ばれる部所です.池田先生は実質的な五感と言える第一庶務から渡される情報を基準に判断し行動します.もし,第一庶務がある目的をもって情報にフィルターをかけていたらどうなるでしょう.池田先生は簡単に躍らされてしまいます.そして,幹部を含めてほとんどの学会員は,「池田先生が言った」ことに忠実です.

つまり,池田先生に情報を上げている部所や人物が実質的に学会全体を操ることができるという妄想が浮かんできます.院政ですね.突拍子もないように思えるかもしれませんが,実は本当に起きているようです.過去に盗聴したり陰で圧力をかけたりしたことのある団体です.これくらいのことがあっても不思議ではありません.


# 最近,学会を「瓦解」と打ち間違えることが多いです...

聖教新聞の表現(2)

前回に続いて,聖教新聞の表現について素人考察してみます.

ご意見頂いた「高齢者に合わせるための表現」は,他の機会に何回か聞いたことを思い出しました.そうすると,もし一般の同世代の人々が聖教の論調に違和感を感じるならば,学会内の人は進歩がなかったことになります.実際はそれに近いものがあるのではないでしょうか.友人の本部職員も,「あれ(聖教の表現)をもっとやれという会員がいる」と言ってました.理屈を捏ねるより,「!」の多用で訴えた方が分かりやすいのでしょう.

要は,「正義!」「勝利!」というカラ元気や勢いを示すためなら分かり易いですが,「何を以って正義とするか?」なんて考えだしたら分かりにくいのが聖教新聞です.「頭ではなく体で信心を知るのだ」という言葉が何度も聞かれる学会ですから,学会の信仰の中心にあるのは,この「勢い」ということになります.それを補う(ごまかす?)ために,SGI提言や対談集などのアカデミック風なものを出していますが,これらを読んでも「何を以って学会正義とするか?」ということは分かりません.

「考えだしたら活動なんてやってられない」とは,活動家の誰かの言葉だったと思います.考えずただひたすら動く,やれば分かる,それが頭ではなく体で信心するということ,なのであれば,あまり人に薦められるものではありませんね.学会員も,そんな低級な信仰と思われたくないでしょうが,少し立ち止まって考えると活動ができなくなってきます.このジレンマの対処は難しいです.(実は活動を止めてみるという非常に簡単な対処があるのですが)

一方,学会本部は,日蓮大聖人の代名詞みたいな「四箇の格言」をこっそり捨てたりしています.ということは,外敵を作って内部を固める北朝鮮のような方法は,いつまでも通用しないことくらい理解していると見ていいでしょう.

座談会を見れば,いかに青年層が少ないか分かります.末端組織の主たる労働力と財源となっている中高年層の数を維持しながら,次の世代の労働力と財源を作っていくために,結構苦労しているようです.この両者を天秤にかけたとき,今の聖教の論調は中高年層を重視していることになるわけですが,将来を捨てても現有戦力の維持に走らざるえを得ないような組織の現状があるのでしょう.でも,それって末期的症状では...

聖教新聞の表現

華さんのブログを見て,わたしもドリコムでブログをはじめさせてもらいました.華さんのブログは面白く,よく読ませて頂いています.最近では聖教新聞の表現について書かれています.

聖教新聞の言葉使いは,特に宗門と喧嘩別れしてからとても評判が悪く,学会自身の評判を悪くしている大きな要因の一つです.末端会員がどれだけ人が良く親切でも,付き従う組織の機関紙がこれですから相殺以上の負の効果があります.わたしの知り合いの活動家は,新聞啓蒙だけは恥ずかしくてできやしない,と言ってます.改善をあまり要求しない学会員にも問題があります.

学会を実際に動かしているコアの官僚組織は,優秀だと思います.ですが,優秀な官僚組織がなぜ機関紙をあの状態にしているのか,答えが見付かりません.長期的展望ができない学会官僚組織とは思えないのです.

信濃町本部に勤める友人に聞いたところ,「池田先生がやれとおっしゃってるんだよ」と言いました.友人の職業からして,「池田先生絶対」的回答は仕方ありません.ですが,やっぱり答えになっていません.もし本当に言ったとしても,長期的展望ができる学会官僚組織なら実際にはやらないと思うのです.

そこで,悪評高い聖教新聞を,学会が続ける理由を考えてみました.

(1) 【学会官僚組織は,実は何も見えていない】
世間でどれだけ評判が悪いか認識していない可能性です.バリバリの活動家の言動を見ていると,結局これが一番可能性が高いのでしょうか.

(2) 【進行する組織崩壊で焦っている】
あの新聞で組織を離れる人も多いのですが,離反者を引き止めるための脅し文句を強化するというネガティブ・フィードバックがかかっている可能性です.これも長期的には間違った方法です.

(3) 【評判の悪さには気付いているが,わざと続けている】
不謹慎ですが,池田先生の寿命を考えると,次の時代のことを早く考えなくてはいけません.近ごろ,夫人が目立ってきたのは,その布石のような気もします.もしかすると,池田先生のご逝去を機に,池田先生時代の不名誉な過去をお墓まで持っていってもらおうとしているのかもしれません.いま夫人を立てているのは「先生の死後も安心してください」というポーズかもしれません.

以上の選択肢の中で,将来的展望をしているのは,(3)しかありません.政治力学的観点からは,残った組織のナンバー2が,一気に前政権色を払拭して権力を掌握し易いと言えます.宗門との対決,イラク戦争容認を乗り越えた学会員なら,離反者も少なく済むでしょう.ちなみに,戸田会長夫人は,追われる形で宗門側に付いたと言ってよいようです.歴史は繰り返される?

悪評高い聖教新聞を,学会が続ける理由,どなたか他にありませんか?
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