価値[再]創造

創価学会における素晴しき体験と
めぐり合った会員や幹部との思い出を基に
価値観を再構築していきます

学会用語の基礎知識

学会員との会話は、誰もが体験するように、「話がかみ合わない」わけです。
かみ合わない最大の原因は、互いに言葉の定義がズレているためです。
ということで、学会員とスムーズに会話ができるように、言葉の定義集を作ってみようと思いました。
名付けて「学会用語の基礎知識」。
みなさまからの投稿、修正意見受け付けます。

それではいってみましょう。まずはこれから。

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【先生】せんせい
池田大作名誉会長を意味する敬称。かつては大幹部でも使用され、親しみを込めた意味合いがあったが、一極(一人?)集中型の組織運営方針に合わせるため、現在では池田名誉会長を対象とする以外は使用を許されていない。この種の敬称は、使う側の意志に委ねられることが多いが、創価学会内では強要される場合が多い。例えば、座談会で「池田さん」と発言すると、会場の空気は凍り付く。

【本尊】ほんぞん
鎌倉時代の僧、日蓮によって書き記された祈念対象。日蓮正宗から破門されて以来、学会は日寛による本尊を画像修正し、印刷機による大量生産体制に入った。巨大荘厳な建造物を建てる一方で、信仰対象であり製作経費はさほどかからない本尊には会員から金銭を徴収している。「お守り御本尊」と呼ばれる小型のものは、会員一人ずつに購入を薦めている。また、本尊に関する真偽不明の逸話が組織内で流れ、本尊に対する恐怖心を掻き立てる役割を担っている(バルサン事件、下水道事件等)。

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これ、続けられるのかな?笑顔

無題

誰かが同じようなことを書いていると思いますけど、いまトイレでふと書いておこうと思いました。ウインク
題名は考えるのが面倒なので。。。

池田さんのスピーチや本を見ていると、やたらと他からの引用が多いわけです。創価学会こそ唯一正しい団体と主張しながら、外の権威や偉人を持ってくるのです。学会の正しさの証明を、学会の外のものに頼るということは、その「外のもの」も正しいと暗に言っているわけです。それなら、別に学会でなくていいじゃん、ということを考えようとしないのが学会員です。

信濃町が「外のもの」を必死に用いている理由は他にもあります。「みなさん社会で創価学会員というだけで疎外感を持つハメになってるけど、実は他と一緒なんだよ」ということを無理矢理に思わせて安心させるためです。こうした一般社会との共通性(があると思うこと、無いんですけど)は、学会の悪事を責められたときにも利用され、「他の組織でも同じような悪事が行われているじゃないか」という言い訳を述べることとなります。

もう一度いいましょう。それならなおさら学会でなくてもいいじゃん!

学会員さん、何を必死に学会にこだわっているのですか?よーく考えたら、学会にこだわる理由は何もないんじゃないですか?ほら、外をご覧なさい。学会員でもないのに、立派で幸せな人々がたくさんいるのではないですか。いるでしょう。彼等は学会員でないという理由だけで、劣っているのですか?

そう言えば、昔、みんなで議論したことがありました。学会内でキング牧師やガンジーがそんなにすごい扱いされているのなら、彼等の宗教もすごいのか?という話題です。信濃町幹部によると、「彼等は過去世にそれなりの善根を積んでいるんだ」という説明でした。信濃町幹部はすごいですね。おそらくその「善根」を見てきたのでしょう。

宗教的解釈なんぞ、人によってどうにでも変化できます。どうにでもできる場合に、人の集団を維持(拡大はもはや無理)するための最適解は信者を引き止めるような解釈をすることです。その解釈が正しいとか正しくないとかは二の次、三の次です。池田さんや信濃町が本当に正しいかどうかの基準で動いているのなら、たかが数十年で収拾しきれないほどに矛盾が広がるわがけないじゃないですか。要するに商売的発想です。商売です。拍手 実際、信濃町のみなさんは財務で集めたお金で株投資までして儲けてますしね。信濃町にとって学会員はお金のなる畑なんです。

学会員は主観のみの世界で生き、感情制御はしない

学会の言うところの「対話」なるものを行うと、途端に学会員が形勢不利となります。何度も書きますが、その時の彼等彼女等の捉え方は「学会攻撃」であり、逃げ口上は「批判ばかりしてないでもっと明るく生きたら」という上から目線です。それは、面白いようにコントのごとく繰り返され、わたし達の期待を裏切りません。

「哲学」という言葉を簡単に使う彼等彼女等から、人格や思考の深みを感じとれないのは残念でなりません。残念というか、正直言いますと、自分達の姿を客観的に見ることができない様子は非常に哀れです。学会員にしてみれば、「学会・池田さんは(根拠なく)正しい」という教えに忠実で、池田さんをはじめ、多くの学会本部職員の真似をしているだけなんですが。

いろいろな本に書かれておりますが、それぞれの道で成功する人に共通することは、「客観的・抽象的な思考ができ、感情コントロールが上手い」ということです。例えば一流のスポーツ選手が最も重要視していることに、イメージトレーニングと感情コントロールが挙げられるそうです。イメージトレーニングは客観的な状況を頭に描かなければなりません。また、感情制御できないと大事なところで正確な判断ができません。そういう自己鍛錬の上に、彼等の自己実現と成功があります。考えてみれば当然かもしれません。

創価学会の教義・存在を考えてみますと、まるで反対の方向に人々を煽っている団体にしか思えません。つまり、池田さんや学会員の主観のみを優先し、感情を思うままにぶちまけるべき、というのが池田創価教です。その結果、彼等にとっての「強い人間」とは、感情むき出しに我を通す人のことであり、落ち着いた考察に基づく言動をする人ではなくなります。

ですから、自分がされて嫌なことを他人には平気で行う一方で、自分にされることを極度に嫌う学会員が生産されます。そんな人が多過ぎて辟易します。そのような未熟な精神性では自分を律することなどできないため、世界平和どころか、身近な人との争いも絶えないでしょう。

最近、学会員とある問題について長時間にわたって話をしたのですが、その時に思ったことを書き留めました。一般常識ではあり得ない、学会員の自己中心的な思考と振る舞いに、周囲の我慢が限界に達していました。日本全国で同じ状況が起きているのだろうな、と思いました。
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