価値[再]創造

創価学会における素晴しき体験と
めぐり合った会員や幹部との思い出を基に
価値観を再構築していきます

学会の歴史(昭和63年) (4)

大橋議員の池田さん批判に対して、隠していたネタで除名処分。どうやら、忠実な公明議員や職員は、みんな弱味を握られているようです。学会員は何も知らない。。。

池田さんを守るためには、それまでの仲間(社会党)も見捨てて、自民に歩み寄ります。


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1988(昭和63)年(4)

11/29
公明党第26回党大会。

一年間の動き
リクルート疑惑、公明党にも飛び火
88年は公明党にとって試練の年であった。そのひとつは、リクルート疑惑にたいして、公明党現職代議士の弟で本部職員の関与が明らかになったことである。
 2月2日、東京3区選出の池田克也代議士は公明党本部労働局主任の実弟をともなって記者会見し、弟の譲氏がファーストファイナンス社からの全額融資でリクルートコスモス株5000株の譲渡を受け、86年2月に売却して約1000万円の利益をあげていた事実を明らかにした。池田代議士は、同日責任をとって中央執行委員と副書記長の辞任を申し出、11月4日の中央執行委員会で了承されるとともに次期衆院選での公認も取り消された。

田代議員、砂利船収賄で逮捕
1月18日、参院大阪選挙区選出の田代富士男議員は砂利船転用に関連して全国砂利石材転用船組合連合会から謝礼としての現金1000万円をふくめ、政治資金名目等で計7000万円を受けとった疑いで大阪地検特捜部から取り調べを受けた。同議員はただちに離党届けを提出し、参院議長に辞表を郵送した。公明党の国会議員が収賄を問われるのは初めてのことである。この日、公明党は緊急中執委を開いて離党届けを受理するとともに矢野委員長が記者会見して陳謝した。また、大阪地検特捜部から起訴された1月31日には大久保書記長が、大阪地裁で第1回公判が開かれた7月18日には矢追広報局長が、それぞれ「事件を厳粛に受け止める」旨の談話を発表した。

池田創価学会名誉会長批判の表面化 1967年に公明党が衆院に初めて進出して以来連続8回当選の大橋敏雄代議士(福岡2区選出)は、「創価学会と公明党を私物化している」として、池田大作創価学会名誉会長の退陣を求める手記を、5月10日発売の月刊誌『文芸春秋』6月号に発表した。現職の公明党国会議員が創価学会の最高指導者を公然と批判したのは初めてで、党の内外に大きな波紋を呼んだ。
 これにたいして、6月6日、公明党中央統制委員会は金銭の不正授受や女性問題を理由に大橋議員を、現職国会議員としては結党以来初の除名処分に付した。
 また、大橋議員に同調した藤原行正都議についても除名処分が検討されたが、結局、公明党都議団は除名請求を見送り、静観することになった。

公明党と創価学会、定期連絡協議会を設置
大橋衆院議員の手記発表とその除名を契機に、公明党と創価学会の「政教分離問題」が再燃した。これに関連して、矢野委員長は、88年6月14日の第60回中央委員会の質疑のなかで、それまで必要に応じて開かれてきた創価学会との連絡協議会について、「今後は定期的な形にして、国民に今こういう話をしていると発表する形に運営を変える」と表明した。他方、秋谷栄之助創価学会会長も、この日、「今後は、定期的な『連絡協議会』を設置するよう、党と話し合いたい」との見解を明らかにした。
 7月29日に聖教新聞社の会議室で開かれた初の連絡協議会には公明党側から矢野委員長ら8人、創価学会側から秋谷会長ら8人が出席し、89年の参院選や都議選への支援、党の基本路線、政策などについて意見交換がなされた。この連絡協議会は原則的に2ヵ月に1回程度開かれることになっていたが、88年中に開かれたのはこの1回だけであった。

矢野委員長、「明電工事件」で疑惑
88年12月9日付け『朝日新聞』は、巨額の脱税が摘発された「明電工事件」の中瀬古被告が88年1月におこなった10億円の株取引で株を購入した名義人のなかに、矢野公明党委員長の現秘書2人と元秘書1人の名前があることを報道した。12月10日、矢野委員長はこれを虚偽だとして、名誉毀損罪で朝日新聞社を告発した(89年3月23日取り下げ)が、12日に記者会見し、明電工関連会社であるカロリナ社の株を担保に元秘書からあずかった2億円を石田明電工専務に融資する仲介を自宅でおこなった事実を明らかにした。
 道義上の責任を指摘する声にたいして、委員長は12月17日の神奈川県本部大会でのあいさつで、政治献金の党管理や個人後援会の廃止など一連の不祥事にたいする再建策を示して全党的な議論を呼びかけ、12月28日の中央執行委員会では「党政治倫理確立と党改革委員会」(委員長=大久保書記長)の発足が決まった。
(法政大学大原社会問題研究所:編著『日本労働年鑑第59集1989年版』
http://oohara.mt.tama.hosei.ac.jp/rn/59/rn1989-323.html)



矢野委員長、社公協力の見直しを示唆
(中略)
大会の冒頭、あいさつに立った矢野委員長は、「本大会の最大の懸案は、公明党の存在意義を再確認することであり、一から出直す覚悟で、新たなスタートを誓い合う」ことだと強調し、「具体的には、第一に、あくまでも庶民の側に立った政治をめざす、第二に、福祉社会の実現をめざす、第三に、核兵器の廃絶と世界平和の推進の三点を、党活動の最も基本的な方針といたしたい」と訴えた。
 臨時国会に関して、委員長は論戦を振り返り、「今後〃原則として審議拒否はしない〃ことを党是とすることを確認いたしたい」と提案した。また、このあいさつのなかで、野党間の協力問題にふれた矢野委員長は、「審議拒否などに固執し、自らの主張を一方的に他党に押しつけるがごときことであれば、公明党は今後そうした協力関係について慎重に受け止めざるを得ません」とのべ、暗に社公協力関係を見なおすことを示唆して、注目された。
 活動方針で断念が表明された「統一名簿」構想については「政策の合意が重要」との認識を示し、活動方針でまったくふれられていない「連合主導型の無党派共同推薦候補の擁立」については「各県本部の主体的判断を尊重しつつ、考慮」するとして、これまでの黙殺を改めて、ややふくみを持たせた(あいさつ全文は『公明新聞』88年11月30日付)。

大会経過
(中略)

役員、副書記長と中央委員の増員
第二六回全国大会で選出・承認された本部役員、および大会終了後開かれた中央執行委員会で決定した常任企画委員、副書記長、各局長の氏名は以下のとおりである(カッコ内の新は新任、その他は留任)。なお、副書記長は五人から六人に、中央執行委員は二九人から三三人に増員され、実弟へのコスモス株譲渡のために辞任した池田克也代議士の後任と増員分の副書記長計二人は、ともに党職員が起用された。

▽委員長=矢野絢也、▽副委員長=石田幸四郎(財務委員長兼任)・浅井美幸・多田省吾・伏木和雄、
▽書記長=大久保直彦、▽副書記長=矢追秀彦・塩出啓典・二見伸明・神崎武法(国際局長兼任)・笠間肇(新、事務総局長兼任)・土師進(新、公明新聞総局長・出版局長兼任)、
▽国会対策委員長=市川雄一、
▽選挙対策委員長=長田武士、▽政審会長=坂口力、
▽常任企画委員=渡部一郎・大野潔・黒柳明・三木忠雄・坂井弘一・権藤恒夫、▽広報局長=西中清(新)、▽宣伝局長=田端正広、▽総務局長=小原敏男(新)、▽公明新聞編集局長=橋本立明(新)、▽中央執行委員=峯山昭範・鳥居一雄・鶴岡洋・及川順郎・橋本辰二郎(以上新)・近江己記夫・草野威・岩館衛、以上の33人が中央執行委員、
▽経理局長=岡田克司(新)、▽業務局長=橋元隆雄(新)、▽制作局長=辺見弘(新)、▽組織局長=花井啓悦(新)、▽議会局長=小宮山哲郎(新)、▽青年局長=木内良明、▽婦人局長=刈田貞子、▽教育局長=小宮実(新)、▽国民運動局長=安河内勝陸(新)、▽中小企業局長=森本晃司、▽農林水産局長=水谷弘(新)、▽国民生活局長=渡部通子、▽労働局長=前橋通雄(新)、▽文化局長=山形欣孝(新)、▽環境保全局長=金井俊和(新)▽高齢化社会対策局長=鈴木勝(新)、
▽政審事務局長=小山修史、▽選対事務局長=栗田直明(新)、
▽最高顧問=竹入義勝
(法政大学大原社会問題研究所:編著『日本労働年鑑第59集1989年版』
http://oohara.mt.tama.hosei.ac.jp/rn/59/rn1989-327.html)

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学会の歴史(昭和63年) (3)

アフリカ大使の言葉は、皮肉ですよね。わたしは、衛星放送で見る池田さんに知性を全く感じませんね。と思ったら、タイムリーな池田さんの発言:

「近年のね、フジコウとかもみんなそうでしょ。オオコウ、大橋とか、なんだ、ハラコウとか、なんだ。なにかいるじゃないか、5、6人よ。よくなんか、汚らわしいからいわないけど、全部同じよ、方程式は」
「ぼくの眼から見るとね、もう原島、福島ね、フジコウ、全部が、石田、全部。おかしい」

まだ株もやってますねえ。学会員は株のために財務を頑張らないと。

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1988(昭和63)年(3)

07/05
【学会】東京練馬・村山圏合同記念幹部会。
名誉会長、アフリカの大使から贈られた文面を紹介。



『この発言がなされたのは、’88年7月5日。東京練馬・村山国合同記念幹部会の席上でのことだが、今の池田発言に通じる傲慢ぶりがよく表れている。この席上、池田氏はアフリカの某国大便から送られたという自らの人物評を記した手紙を、「私信は他人に見せるものではないが」と断った上で、次ように披露した。
「私は(池田氏)との出合いの印象として、ソロモンの知恵、偉大なるブッダの本質、ギリシャの偉大な哲学者であるソクラテスの謙虚さ、アーサー王の勇気、シェークスピアの知性、リンカーンの清廉、そして、マーチン・ルーサー・キングの夢と信念、詩人キップリングが『IF』という詩の中でいみじくも表現した『〃国王らと共に歩みながらも庶民的なものを失わない〃その人』に相通じるものを感じたと記してあった。恐縮な限りであり、私への励ましの手紙と思っている」
こうした手紙を公開して悦に入っていること自体、とても「ソクラテスの謙虚さ」を持っているとは思えないのだが……。』
(週刊実話2001年12月13日号)

07/17
【学会】創価学園正門前で、暴力事件発生。



『この日、創価学園で催された「栄光祭」に出席した池田大作をキャッチしようと、学園門前に待機していたマスコミ各社の記者、カメラマンに対し、学会、学園関係者が、集団で暴行に及んだのである。午後6時20分頃、池田を乗せたとおぼしき黒塗りのセンチュリーが、学園正門を出る、これを撮影しようと十数人のカメラマン、記者が車に群がる。それに対し、50?60名の学会員が襲いかかったのである。路上に引き倒され、頭や腹を蹴られた「フライデー」カメラマンは、救急車で運ばれ、入院。現場写真には学園の北山教諭が、「フライデー」カメラマンを殴打している姿がはっきりと映し出されている』
(継命新聞社『グラフティ創価学会の現実PART3』)



『【写真週刊誌カメラマン殴打事件】
毎年、7月17日は創価学園の「栄光祭」だが、当時、創価学会の〃暴走財務〃がクローズアップされていたこともあって(※この七月十七日は「財務の日」と命名され、そのころは年に一度の財務を集める日でもあった)、1988(昭和63)年の栄光祭に出席する池田を取材しようと、創価学園の前に雑誌メディアの取材記者が集まった。
 既に、小林校長(当時)が報道陣を「ブラックジャーナリスト」と罵り、「魑魅魍魎が学園を狙って跋扈している。革命的警戒心を全員が持ち、一致団結して創立者をお迎えしよう」と檄を飛ばし、学会本部の第一警備はもちろん、学園の男性教員や学園出身のOBも混じって、数十人が警戒にあたった。
 夕方、体育館でのスピーチを終え、池田が黒塗りの車が出ようとすると、一斉にフラッシュがたかれたが、そこで、警備にあたっていた学会員と取材陣とが押し問答となる。うちフライデーのカメラマンが殴られ、足蹴りにされてうつぶせに倒れされた後、さらに頭を足蹴りにされた。』
(古川利明『カルトとしての創価学会=池田大作』P41)

07/28
【宗門】猊下、法華講連合夏季総登山会で、
「私自身も、もし私の行為・行動に対して誤りを指摘してくださる方があるならば、それを大聖人様の教えに照らして考えた上で、誤りと自分が解れば直ちに改めるつもりであります。また、その方に深くお礼を申し上げたいと思います。私もその心掛けを持っております。
 私の下におります僧侶の者達にも場合によって心掛けが不充分であるというような振る舞いがあれば、私は充分注意をいたします。もし皆さん方に、これでは日蓮正宗の僧侶としてふさわしくないから御注意申し上げたいということであるならば、遠慮なく注意をしていただきたいと思います。ただし、それは人と相談して陰口を言いながら注意するのではなく、自分一人で深く考え、その上できちっとした文書にして、あるいは口頭において、何人とも関係なく自分の真心をもって、その僧侶なら僧侶に注意をしていただきたい。
 それに対して僧侶が、あなたはそう言うけれども、それはまだ一分の小さな見方である。大聖人の仏法のなかには、こういう立場もあり、さらにこういう立場もある。その全体の上からいって、あなたはこれが絶対と思っておられるかも知れないけれども、それは間違いであるということを指摘されたならば、また、それで自分が納得がいけば、潔く自分の考えを捨てて、あくまで正理、正義ということを基準として考えていく。しかし、僧侶のほうが悪ければ、あくまでこれは直していってもらわなければならない。また、そのことが私の耳に入り、その僧侶が本当に悪ければ、私の立場からもその僧侶に注意をいたします。これが本当の切瑳琢磨であり、正法正義の正しい研鑽であると思います。」
等と説法。

07/29
【学会】聖教新聞社の会議室で、公明党との初の『連絡協議会』。

08/09
産経新聞、公明党矢野絢也書記長の『明電工疑惑』を報道。
疑惑=明電工(中瀬古社長)の不正な仕手株売買に関与し、(1)矢野書記長が10人の名義を使ってカロリナ株と吉田工務店株に約10億円投資して、約2億円の利益を得た。(2)元秘書・中村道雄の名を使って2億円のカロリナ株を購入した。(3)その他。


08/11
イギリスのタイムズ紙、学会のタプローコート買い上げについて論評。『創価学会がロンドン西郊のウィンザーに近いバッキンガムシャーにあるチューダー王朝様式の城を600万ポンド(注=約18億8千万円)で買い取った。仏教は物欲を排した処世に基礎を置くとされるのに、あからさまな献金強要で大きな批判をまき起こしている』とする。

08/24
【学会】名誉会長、8月度本部幹部会で、ユダヤ人の迫害の歴史などを引用しつつ、
「裏切り者が出る」
「近年のね、フジコウとかもみんなそうでしょ。オオコウ、大橋とか、なんだ、ハラコウとか、なんだ。なにかいるじゃないか、5、6人よ。よくなんか、汚らわしいからいわないけど、全部同じよ、方程式は」
「ぼくの眼から見るとね、もう原島、福島ね、フジコウ、全部が、石田、全部。おかしい」
と述べる。

08/25
午後2時40分ごろ【学会】本部(信濃町の創価文化会館)正門受付に、右翼団体『宏道連合会』(新宿区)所属の男K・S(20)が『創価学会に警告する』『池田大作を追放しろ』『創価学会は解散しろ』『宗教を餌に金儲けをするな。これは警告である』
などと書いたビラ10枚を持って訪れ、手渡そうとしたが、警備員に無視され、押し問答となる。
 その際、男は持っていたイタリア製拳銃を空に向かって1発発射。男がさらに強引に入り込もうとしたため、その場で警備員が3人がかりで取り押さえた。男はその際にも空に向けて拳銃2発を発射した。
 ほどなく警察官が駆けつけてきて、男は銃刀法違反の現行犯で逮捕された。けが人なし。「創価学会に警告に来た」「上の者に言われて来た」「雑誌を見て憤りを感じて乗り込んだ」などと話した。
※TV各局がニュースで報じた。

09/??
【学会】福井池田文化会館落成。

09/??
国際証券、学会との間で「株式売買の連絡がうまく行かず、売ったり買ったりした際に損が発生した」と、トラブルになる。学会からクレームが付き、「話し合いの末」に、損失分をワラントの売買で穴埋めする。この賠償は89年2?10月にかけて行われる。
(91年7/31国際証券・松谷社長記者会見)

09/02
大橋敏雄議員、原健三郎衆院議長へ『宗教法人「創価学会」の運営等に関する質問主意書』を提出。

10/??
文藝春秋11月号発売。山本七平の『池田問題と異端』を掲載。

10/??
公明党の池田克也代議士がリクルート疑惑で党役員を辞任。

(秋)
港区西麻布の画商、画廊「アート・フランス」石原優社長に、ルノアールの「浴後の女」を販売委託、同「読書する女」を3億円で販売する。

11/01
公明党池田克也衆議院議員、読売新聞の『リクルート疑惑』取材に対し、「天地神明に誓ってない。謀略だ」と答える。

11/02
池田克也議員のリクルート疑惑関与が発覚。
(のち、記者会見で「弟が知らない間にもらった」と弁明。)

11/20
エスエル出版会、創価学会内部改革派憂創グループ著『池田大作・政教支配の実態創価学会=公明党の覚醒に向けて』を発行。(発売=鹿砦社)正信会の立場で書かれている。

11/28
日新報道、藤原弘達著『創価学会池田大作をブッた斬る』を発行。

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学会の歴史(昭和63年) (2)



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1988(昭和63)年(2)

05/22
【学会】本部幹部会で退転者名簿を発表。創価高校校長の小林道夫、学会副会長を拝命。

05/26
【学会】創価高校の小林道夫校長、教職員に
「学園としては待ちに待った先生のご来校であります。いちばん心配しておりました天気もどうやら晴れ上がってまいりまして、晴天でよかった。
 先生は非常にお忙しい中を、時間をかきわけるようにして学園へお出でくださる。特に高校一年生は、学園に入ってきたほとんどの理由が、先生との出会いにあります。その最良の日を今日迎える。彼らにとって生涯忘れられない日となる……(教職員は)休み時間、昼休みに、もう一度、学校中の掃除のチェックを願います。先生を気持ちよくお迎えしようという真心は、形に現れなければ真心とはいえない」等と述べる。
(『現代』1990年4月号「池田創価大学・学園「池田洗脳教育」50時間テープ」)



『また、内部関係者によると、七月の栄光祭が近づくと、小林は次のような発言を全校集会などで行っていたという。
「創立者と生涯変わらぬ師弟の誓いを立てるのが栄光祭です。他の学校では絶対ありえない、学園のみの名誉ある儀式なのです。創立者のご期待に応える不退転の決意が必要であります。しかし、今年は諸般の事情により、先生はお見えにならないかもしれない。創立者に出席していただくことが、とりもなおさず栄光祭の成功を意味する。諸君の一念、師匠への熱き思いが試されるのです。祈って祈って創立者池田先生をお呼びしようではありませんか」』
(古川利明『カルトとしての創価学会=池田大作』P37)

05/27
週刊ポスト6月7日号発売。『巨大教団の内幕追撃』を掲載。解任された埼玉県幹部3人と西村埼玉県長の対論がある。

06/??
【学会】SGI会長、第3回国連軍縮特別総会を記念した『国連栄誉表彰』を授与される。

06/01
【学会】名誉会長、第3回『国連軍縮特別総会』へ記念提言。『新軍縮大憲章』の採択を提案。その具体的な柱として、討議と検証機能をもつ『国連軍縮機構』の創設。各国に平和省の設置。

06/06
公明党、大橋敏雄議員を、女性問題などを理由に党から除名。



大橋問題に対する公明党の対応は、あまりに稚拙だった。6月6日、公明党は、告発の内容とは無関係な、「金銭トラプル」や「女性スキャンダル」を理由に大橋議員を除名する。この対応にも批判が集中した。
 6月14日には、公明会館で開催された第60回中央委員会で、挨拶に立った矢野絢也委員長が、大橋問題について掘り下げた討議を要請した。さらに大久保直彦書記長は、政教分離の路線をさらに進めていく決意を表明した。
 それから1週間後の6月21日、私は大久保書記長から議員会館の部屋に呼ばれ、大橋問題への対応を相談された。大久保書記長の部屋には、石田幸四郎副委員長、伏木和雄副委員長の顔もあった。この日のメモにはこう書いてある。
<大久保書記長ゲッソリとやせ、元気なし、石田・伏木両副委員長も顔色悪く、疲れ隠せず>
 大橋問題への対応で、公明党の幹部は心身ともに擦り減らしていた。この状態では彼らにまともな議会運営など望むべくもなかった。

池田喚問に慌てた委員長
さらにこの日のメモから紹介しよう。
大久保 大橋が今日、原(健三郎)議長に要望書を届けたが、これがそのコピーだ。この要望書のどこが問題になるのか、教えてほしい。
平野議院に関係する内容は二点です。大橋さん自身、疑惑といわれていることをはらしたいから証人として出頭したいということ、また池田名誉会長を「政教分離」問題で証人として喚問してほしい、という点です。二点とも議長に関係のないことで、議長としては目を通すだけで何もしません。
大久保 もし証人喚問となれば、どういう手続きになるのか。
平野 証人喚問を決めるのは所管の委員会での議決が必要です。大橋さんは筋を間違えている。所管の委員長に出すべきです。しかし仮に、委員長に出されたとしても、委員長はいきなり委員会に諮るようなことはしませんよ。まず、理事会で協議します。理事会で合意して話が進んでいくんですよ。それに証言法の改正がそのままになっていますので、簡単に証人喚問といっても事実上できませんよ。
大久保 書記長として記者会見しようと思っているんだが。
平野 自党の党員でない人が出した要望書について、書記長として記者会見するのは、問題を大きくするだけですよ。無視しておけばよいと思います。新聞の記事を大きくするだけですよ。
――結局、私の助言で大久保さんは、いったんは会見をやめることにした。

知られきる大橋問題の真相
公明党としては、池田大作名誉会長の証人喚問だけは何とか避けたいと必死だった。一方の自民党にとって、これはチャンスだった。懸案の消費税法は、自民単独で成立させることは不可能だった。社会党や民社党が消費税に強硬に反対している以上、成立には公明党の協力は欠かせない。消費税国会を成功に導く鍵は、公明党が抱える大橋問題をいかにうまく処理するかにかかってきていたのである。
 私はこの日、大久保書記長に再度呼ぴ出されるが、そこで聞いた大橋問題の「真相」は、私の想像を超えるものだった。
大久保 さっきは大橋の要望書のことで記者会見しないことにしたが、大橋側が記者会見で私の政治献金のことを出したので、会見をすることにした。要望書のことを聞かれると思うので、どの程度のことを言っておけばよいだろうか。
平野 まず議長に持ち込む問題ではないこと、そして「政教分離問題」は解決済みだということですね。あんまり話をしないほうがよいと思いますよ。
大久保 今度の問題の根っこは、藤原(行正、池田批判を展開していた公明党の都議)のほうにあってね。つまらん、バカバカしいことが原因なんですよ。
平野 どういうことなんですか、原因は……。
大久保 藤原の次男が、「私は、戸田城聖(第二代創価学会会長)の生まれかわりだ。六代目の創価学会会長になる」と言っているらしい。そこで池田名誉会長の攻撃に大橋が使われているんだよ。
平野 それじゃあ、宗教上の争いが原因で、それを政治問題として処理しようとしているんですか。
大久保 大橋が国会議員だから、政治問題として……。
平野 一番悪いケースですよ。原因が宗教上の争いなのに、現職の議員の身分をいくらつっついても問題は解決しませんよ。だんだん泥沼化していって、党の運営や国会対策が冷静にできなくなったら大変なことになりますよ。

「学会も選挙態勢を取れない」
公明党と学会の裏のやり取りの情報などは、頻繁に連絡を取り合っていた権藤さんから、刻々と入ってきた。権藤さんはこんな内情も明かしていた。
「竹入先生に聞いたところ、学会がかなり無理を言って公明党に大橋問題を処理せよ、といってきたらしい。矢野委員長も腹ではやりたくなかったが、しかたなくやらされたようだ」
さらに、党内の混乱ぷりをこう語っていた。
「副書記長会議があったので、二見に、『このままでは、党のイメージを悪くするだけだから、臨時国会対策とか、税制問題への取り組み方を勉強して、国民に理解される党の態勢を固めよう」ということを提案させたが、『それどころではない……』ととり上げてくれなくて、二見が怒っていたよ」
(平野貞夫『公明党「汚れた裏面史」全真相』『現代』2004年5月号)

06/14
公明党、第60回中央委員会。

06/20
鷹書房、浅沼美知雄著『池田大作名誉会長への公開質問状』を発行。浅沼美知雄は右翼団体代表。

07/01
元・学会埼玉県幹部で本部職員だった押木二郎、池田問題対策事務局を開設。
所在地は当初、藤原行正が所有するマンション(東京都杉並区高円寺)だったが、91年に新宿区四谷へ移転した。



『そこには(株)アドムと称する会社がある。代表取締役は藤原グループの笛木伸一である。この会社は(株)改成企画の名で平成元年2月9日に設立され、その後間もなく現住所に移り、名称も(株)アドムとなったものだ。設立時の代表者は大須賀文雄。彼を含め、あとの取締役もみな、行正の息子の取り巻き連中だ。』
(『地涌』第31号)

07/04
自民党の小沢一郎、創価学会幹部と密談。社公から自公へ戻る方針決まる。



創価学会・公明党がどうなるかは、自民党の派閥や政局もからむ問題であった。そのことは公明党側も自民党側もよくわかっていた。6月30日に、権藤さんが小沢一郎官房副長官にこんなことを伝えて欲しいと言ってきた。 「大橋問題をこじれさせた後、学会内部でかなり動揺が出ている。矢野委員長は一時期、学会や党のゴタゴタを吹っ切るためにも、早期に解散に追い込んだほうが得策かと考えていたふしがあったが、学会も選挙態勢をとても取れたものではない。そこで、年内解散も同時選挙も避けたい」
 しかし、衆議院の委員会段階で税制改正法案を強行採決すれば、「解散」の可能性が高い。税制の抜本改正を自民党単独強行採決したと新聞は徹底的に批判する。社・共が勢いづき公明も社会党に必ず引っ張られるからだ。
――こう私が分析すると、権藤さんは7月4日に小沢さんをある学会幹部に引きあわせることを明かし、次のように頼んできた。
「わかった。小沢さんからそのことをよく相手に説明して、審議に参加するよう、よく納得させてほしい。特に小沢さんには、公明党を動かすために福祉問題で画期的なことを実施するといってほしい。それに学会はいま世間から冷たく見られているから、何か目立つことで評判を良くしようという動きがあり、『平和の問題』に関心が強い。だから防衛費を拡大させない、これをうんといってもらいたい」
 大橋問題は結局、本人から出された学会の運営などについての質問主意書に対し、政府が答弁書を出したことで一応の決着が付くことになる。
 最大の論点だった「代表役員でない池田大作名誉会長による学会の支配が宗教法人法違反にあたらないか」との問いに対し答弁書は、「責任役員と代表役員による事務の決定と総理(統一管理)に従って管理運営が行われる限り、同法違反に該当しない」との見解を示したのだ。
 これによって、大橋問題が巻き起こした波紋は、消費税法の審議に影響を及ぼす寸前で、かろうじて収まった。
 消費税に公明党を乗ってこさせるためには、ポイントが二つあった。一つは、老人医療の問題で、公明党が力を入れていた「ゴールドプラン」を自民党が採り入れて、翌年度の予算で4000億円増やしたこと。
 もう一つは、消費税法を成立させる条件として、国会周辺の右翼の街宣活動による騒音を防止する法律を改正し、対象地域を国会周辺だげから、政党本部にまで拡大したのである。これにより、それまで街宣活動の騒音に悩んできた信濃町の公明党、創価学会が大いに助かったのだ。
 こうして不十分なものながら消費税が導入されたのだ。あの法律を成立させていなかったら、その後の日本はやっていけなかったはずだ。消費税制度ができたのは、公明のこうした政策判断や国会対策、何より大橋問題の始末ができたことが大きかった。
(平野貞夫『公明党「汚れた裏面史」全真相』『現代』2004年5月号)

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