価値[再]創造

創価学会における素晴しき体験と
めぐり合った会員や幹部との思い出を基に
価値観を再構築していきます

学会の歴史(昭和63年) (1)

「庶民の王者」でしたっけ?そこまでなれば、「空港内の特別通関等の便宜供与」を受けて当然なんですね。
浅見総合青年部長(当時)「大橋はドブネズミ、ゴキブリのような者」。そんな感情的にならないで、お茶でも飲んで東北とか旅したらどうですか。

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1988(昭和63)年(1)

01/??
砂利船汚職、発覚。

01/??
【学会】SGI会長、インドの『国際理解のためのG・ラマチャンドラン賞』を受賞。

01/06
【学会】池田のアセアン諸国外遊を前に、小和田恒外務省官房長宛に文書を提出。(96年4月1日、衆・予算委員会で白川議員が外務省に質問)



英字のレターヘッド
『The Soka Gakkai 32 Shinano-machi,Shinjuku-ku,Tokyo,160,Japan, Tel:353-7111,Cable:Sokagakkai Tokyo,Terex:J33145SKG』
の下に、和文タイプで以下のようにある。

『1988年1月6日
外務省官房長
小和田恒殿
東京都新宿区信濃町32番地
創価学会(印)
事務総長原田稔(印)

拝啓新春の候、益々ご清祥のことと存じあげます。
さて、本年1月末より2月中旬にかけて、創価学会インタナショナル(SGI)会長・池田大作(創価学会名誉会長)一行が教育・文化交流のため、香港並びにアセアン3カ国(タイ・マレーシア・シンガポール)を約2週間にわたり、下記の日程で訪問する予定です。

何卒宜しくお願い申しあげます。

敬具


1. メンバー
(1)池田大作創価学会インタナショナル会長・創価学会名誉会長
(2)池田かね同夫人
(3)池田博正同子息
(4)原田稔創価学会副会長
(5)鈴木琢郎同
(6)
(中略)

各国訪問のおりには先発メンバーより大使館、領事館と適宜連絡をとらせて頂きます。
各国大使館、領事館におかれましては入国、出国の際の空港内の特別通関等の便宜供与を宜しくお願い致します。(以下略)』

01/18
大阪地検特捜部、砂利船汚職で田代富士男参議院議員を取り調べ。同議員、公明党を離党。

※事件発覚前日の緊急支部長会で「池田先生は、田代議員がもし信心から離れたら、手が後ろにまわるようなことになると、すでに人間革命の中で予言されていた。今回の事件はその予言が的中したのである」と指導がなされた。
※小説『人間革命』第10巻『嶮路』の章に、田代富士男がモデルの代田が反学会の旧蓮華寺住職に暴力をふるい逮捕・拘留されるという場面が描かれている。
「代田君、御書に照らせば、君は過去世に相当の大謗法を犯していたことになる。もし君が信心をしていなかったら、罪を着るような法の裁きを受けていたにちがいない。それがこの程度ですんだのは、転重軽受の典型として、この信心のおかげといわくてはならない。いつのまにか、これで君も宿命転換ができたのです。おめでとう」と山本伸一が言ったことになっている。

【学会】聖教新聞、コンピューターによる紙面制作(CTS)を開始。

01/26
【学会】名誉会長、第13回『SGIの日』記念提言。ヨーロッパ近代文明の功罪とアジア・太平洋の可能性。国連『平和と軍縮の10年』を人類的課題へ。『世界市民憲章』の作成を提案。

02/??
【学会】地区幹部が焼殺事件。



『不倫妻と愛人共謀殺人事件(昭和63年2月、千葉県大原町で、不倫妻と愛人が共謀して夫を殺害、灯油をかけて焼いた事件の犯人は学会地区幹部のK・Y。)』
(山崎正友『創価学会・公明党の犯罪白書』P44※原文では実名)

02/??
【学会】石垣島に八重山研修道場落成。

02/??
【学会】SGI会長、東南アジア指導。マレーシア・シンガポールを初訪問。

02/??
自民党浜田幸一議員、共産党を除く野党に商品券をバラまき、事件となる。
(公明党はいったん受け取り、問題が表面化してから返している。)

02/02
公明党の池田克也議員、譲渡されたリクルートコスモス株5000株売却で約1000万円の利益をあげていたことを公表。

02/03
【学会】SGI会長、タイ王国のプーミポン国王をバンコクのチトラダ離宮に表敬訪問。

02/04
【学会】プーミポン国王とSGI会長の会談を聖教新聞で報道。

04/??
【学会】世田谷に東京池田記念講堂落成。

04/??
【学会】三色旗を制定。青は平和、黄は栄光、垢は勝利を表わす。

04/13
【学会】聖教新聞に名誉会長のスピーチを掲載。
『近年の悪侶等や山崎一派らのやり方が、まさに〃クモの巣〃を張って、仏子をアミにかけ、食いものにし、「正宗」と「学会」をからめとろうとの卑劣な陰謀であった』

04/26
宮本邸電話盗聴事件裁判の控訴審判決。学会の組織的犯行を再度認定。学会側・松井一彦弁護士、最高裁であらそうとの談話を発表。
(2週間以内に被告全員、最高裁へ上告。)

【学会】秋谷会長、内部通達文書『本日の判決について』を流す。
内容は
(1)事件について、北條前会長が関与したというのは「デッチ上げ」であり、北條が生きていれば、北條関与を認定するような「判断は出なかったのに……残念」、
(2)恐喝罪で告訴されたのを知った山崎が「自分の犯罪をうやむやにしよう」と、盗聴事件を暴露した、だから裁判は山崎と共産党の「慣れ合い」だ、
(3)「さまざまな魔が競うのはもとより覚悟の上」「すべてを変毒為薬しながら、粘り強く障魔を打ち破って前進していこう」、
(4)「正義は必ず勝つ」。

04/27
【学会】秋谷会長、聖教新聞に談話を発表。「この事件は……山崎正友が学生部員らを使って独断で行なったものであり、故北條会長は一切関与していない」「山崎が、学会を崩壊させようと、なりふりかまわず謀略を企てたことに今回の事件の本質がある」とする。

05/10
『文藝春秋』6月号、大橋敏雄・公明党衆院議員の『池田大作への宣戦布告』を掲載。 『(妨害を手助けした)田中角栄氏が名誉会長に初めて会ったあと、池田さんの印象はと聞かれて、「あれは法華経を唱えるヒトラーだな」と答えたそうです。言い得て妙だと、私は思いました』とする。



「文襲春秋」1988年6月号に、当時、公明党衆院議員だった大橋敏雄が「池田私物化批判」の手記を掲載すると、さっそく、学会本部から創価学園に通達があり、その通達文を当時の小林道夫校長(現・創価学園理事長)が朝の全校集会で読み上げている。内容は「大恩ある池田先生と創価学会を批判する不知恩の徒であり、我欲と名利に溺れた信心の狂いであり、魔の所為であると断ずる」というものだった。
 で、たまたま、その直後の『週刊ポスト』1988年6月10日号で、池田大作の〃御真影〃が教室に掲げられている実態を写真入りですっぱ抜いた。すると、ただちに職員会議が招集され、当時の杉本芳雄副校長が
 「池田先生の来校を願って教職員が題目を唱えることにどこか悪いのか。生徒に特撮隊を組織させて創立者を迎えるのは美しい姿ではないか。教室に創立者の写真と創立者コーナー、そして創立者の動きを伝える聖教新聞が提示されているのも当然でしょう。生徒の真心から来るもので、それを踏みにじるマスコミはけしからん」と発言。
 小林校長(当時)も激昂を抑えきれず、「学園においては創立者以外どんな人物の介入も絶対に許されない。法的、倫理的にも何の落ち度もない。魔に紛動されてはならない。敵の思うつぽだ」とまくし立て、その場で教員には週刊誌の記事の誤り(※何が「誤り」であるのかはよくわからないが、おそらく、池田を批判していることそのものが「誤り」なのだろう)を、生徒らに対して訂正するよう指示を出している。
(古川利明『カルトとしての創価学会=池田大作』P41?42)



政教分離の嘘を暴いた大橋論文
中曽根内閣の後を受け、昭和62年の秋に成立した竹下内閣の最大の懸案は、もちろん消費税法の成立だった。だが竹下さんは63年の通常国会にはこの問題を持ち出さず、63年の秋に持ち越した。私はこのとき、衆議院委員部の副部長だった。全体の運営の事務を取り仕切るポジションだ。
 63年の常会が終わり、夏からはいよいよ消費税国会だというときだった。公明党を揺るがす大騒動が起こった。いわゆる「大橋問題」である。
 公明党所属の衆議院議員・大橋敏雄氏が、昭和63年5月10日発売の「文藝春秋」誌上で、池田大作・創価学会名誉会長を批判する論文を発表した。中身は、学会を私物化し、相変わらず政教分離を弁えない池田氏を批判したものだった。公明党批判ではなく、あくまで池田批判だったが、この論文は学会のみならず公明党にも大きな動揺をもたらした。
 昭和44年、藤原弘達氏の「創価学会を斬る」に対して、学会・公明党が出版を妨害する事件が起こった。この事件をきっかけに、学会・公明党は「政教分離」を宣言したはずだった。大橋氏の告発は、その宣言が口先だけのものだったことを暴露するものだった。
 また大橋氏は論文の発表だけでは追及の旗を降ろさなかった。衆院議長への要望書や政府への質問主意書を提出し、池田大作を引きずり降ろすための具体的な行動にも出た。
(平野貞夫『公明党「汚れた裏面史」全真相』『現代』2004年5月号)

05/15
【学会】九州広布35周年記念幹部会。
秋谷会長、「大橋は我欲と名聞名利の退転者、反逆者。夏に出る蚊が、春に迷い出た」と述べる。
浅見総合青年部長、「大橋はドブネズミ、ゴキブリのような者」と述べる。

05/16
東京スポーツ、66回にわたり『池田大作を撃つ』を連載。


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学会の歴史(昭和62年) (2)

はるな墓苑事業も順調で、ますます儲けます。

『≪公明会の基本的あり方≫
我々は公明党創立者である池田先生のもと弟子の道を再確認し、ここに公明会を結成する。我々は創価学会を守り、池田先生のもと、。。。」

確かに、学会と池田さんを守るために、証人喚問等に対して必死の行動はするが、「平和理念」とやらを貫く行動には必死さがないですね。こんな行動から、彼等の本音が読めます。まあ、そんなことは学会員にとってどうでもいいんでしょうけど。


(ここから)---------------------------------------------

1987(昭和62)年(2)

11/18
【学会】聖教新聞社から名誉会長のスピーチ・著作集『人間と仏法を語る(1)』を刊行。(以下、続刊)

12/03
公明党第25回党大会。

一年間の動き
統一地方選での前進――市議数では第二党に躍進
87年4月の第11回統一地方選挙において、公明党は町村議選を除くすべての選挙で議席増をはたし、「党勢を結党以来最高の議席数に押し上げる大勝利」(第25回公明党全国大会「党務報告」『公明新聞』12月7日付)となった。
 公明党は、道府県議会議員選挙では、198人(推薦2をふくむ)をたてて、当選188(同2)で3議席増、政令市議会議員選挙では、130人をたてて128人当選の6議席増という成績をおさめた。
 後半戦の市議選では1202人のうち1200人が当選して51議席増となり、市議会議員数で社会党を抜き、自民党に次ぐ第二党に躍進した。区議選では、207人全員が当選し、20議席を増加させた。町村議選では613人(推薦22をふくむ)を立てて、当選が610(同30)となり、公認で前回より29議席の減であった。この結果、「国会、地方議会の議員総数が結党以来最高の3718人の勢力」(同前)となった。

政権連合へ積極的対応
公明党は、衆参同日選での自民党大勝以降「差し当たり『連合』問題の生ずる状況にない」として、「党の主体性強化」(87年活動方針)にはげんできたが、87年に入ってからは、秋の「連合」結成という労働界での統一の動きに呼応することをめざして、再び政権連合と野党結集にむけての動きを強めてきた。
 87年春には、売上税反対運動の盛り上がりを背景に、共産党を除く4野党間の共闘を強化し、6月には社会党との間の政権協議を本格的に再開させ、民社党とも合同議員研修会を開催し、11月の首相交代に際しては野党統一候補の擁立を社会・民社・社民連の各党に働きかけた。これは結局、民社党にことわられたものの、国会での首班指名選挙では独自候補を立てずに、社民連とともに社会党の土井委員長に投票した。
 また、89年の参院選にむけても、比例代表区選挙での野党統一名簿構想を提唱し、「構想に賛同してもらえるなら、公明党の既得議席を譲ってもいいから名簿づくりを実現したい」(12月11日、「二一世紀クラブ」等主催シンポジウム「野党政治戦線の結集を問う」での大久保書記長の発言)と強い意欲を示している。
(法政大学大原社会問題研究所:編著『日本労働年鑑第58集1988年版』
http://oohara.mt.tama.hosei.ac.jp/rn/58/rn1988-396.html) ◇

矢野委員長のあいさつ
大会の冒頭、あいさつに立った矢野委員長は、この大会を「89年政治決戦をめざし、その足元を固め、かつ、広範な国民各界への力強い展開を図るため、その正念場ともいうべき2年目のスタートをきる大会」と位置づけ、自民党政治独走の責任は野党にもあると指摘したうえで、「政権交代がいつでも可能な『二大政権勢力』時代を、ぜひつくりあげなければなりません」と、「野党陣営における脱皮、前進」を強調した。そして、第一に国会闘争の協力強化、第二に連合政権への展望の明確化、第三に保革伯仲の再現をよびかけ、「具体的手順」として、
(1)八九年の参院比例区における「野党統一名簿」づくり、
(2)それを前提とした参院選選挙区での「無所属共同推薦候補」の擁立、
(3)衆院選での選挙協力
を訴えた。同時に、「連合の諸条件を考え、整理するため」に「公明党にもの申す会という形で対話の場を緩やかな形でつくること」「すなわち『公明党と労組、文化人で政策を懇談する会(仮称)』」の結成を提唱した。
 また、矢野委員長はこのなかで、一方では「公明・民社・社民連がついていけるおおらかな配慮を重んじていただきたい」と社会党にたいして注文を出し、他方では「これまで以上に公明・民社・中道中軸の信頼関係を深めてまいりたい」と、民社党への配慮を示した。
(法政大学大原社会問題研究所:編著『日本労働年鑑第58集1988年版』
http://oohara.mt.tama.hosei.ac.jp/rn/58/rn1988-400.html)

(暮)
【学会】「はるな平和墓苑」完成。



『87年暮れに完成した創価学会第三号の「はるな平和墓苑」(群馬県渋川市=所有名・財団法人平和墓苑)は、地元住民の強い反対を押し切っての建設であった。
 総面積は46ヘクタール、墓数2万4800基。地元住民は、「人口4万人の渋川市を墓場とするのか」と、同市のほぼ全戸(1万5000世帯)に、十数回にわたって建設反対のビラを配布した。有権者3万3000人の6割に当たる1万9000人の反対署名を集めたが、県・市への重ねての陳情も空しく、三井建設によって着工され、創価学会に引き渡された。同墓苑の墓の価格も永代管理料込みで63万円。完売した。』
(『創価学会財務部の内幕』P101)

(?)
公明党議員および議員OBで組織する『公明会』の設立を指示する内部文書『「公明会」について』が該当者に配布される。
以下その抜粋。
『≪公明会の基本的あり方≫
我々は公明党創立者である池田先生のもと弟子の道を再確認し、ここに公明会を結成する。我々は創価学会を守り、池田先生のもと、広宣流布を目指し決意も新たに前進するため、下記の指針に基づいて戦うことにする。

1.公明会の会員基本精神について
公明会会員は立党の基本精神を再確認しよう。
(1)生涯永久に団結第一で派閥を作らず、派閥が出来れば直ちに党を解散する。
(2)生涯民衆と直結し民衆の側に立つ政治家として戦い、「大衆とともに語り、大衆とともに戦い、大衆のために戦い、大衆の中にはいりきって、大衆の中に死んでいく。」を活動の原点として戦う。』
…等々。

(?)
玉井禮一郎(元・創価学会員)、万年救護の御本尊の拓本御本尊(始拓大本尊)なるものを以て「妙法蓮華宗」の開祖(日禮を自称)となり寺院を開設。90年、台湾の学会員と「法論」し、その内容を小冊子『妙法蓮華宗VS日蓮正宗』として出版する。
※玉井氏は石原莞爾の著作『最終戦争論』に影響を受けているようだ。


(ここまで)---------------------------------------------

学会の歴史(昭和62年) (1)

池田さん「(ノリエガ将軍は)指導者はあまりにも偉大であり、大きい」
学会、元手70億円の財テク開始。学会員の財務で財テクです。
その儲け分は、円天「功徳」なるもので還元し、純利益はそのまま本部職員に配分されたりします。

(ここから)---------------------------------------------

1987(昭和62)年(1)

01/??
池田の上から二番目の兄・池田増雄、死去。



『密嚴院の喜田啓照住職によると、
「増雄さんが死に、まったくおつきあいがなくなっていたのですが、このところ、増雄さんの息子の一雄さん盆暮れにはお菓子などをもって挨拶にきてくださるようになりました」
一雄は学会員である。が、子之吉の墓を一般世間並みに維持していたのだった。』
(『宝石』96年4月号)

01/26
【学会】名誉会長、第12回『SGIの日』記念提言。アメリカ民主主義の普遍性。『国家主権』から『人類主権』への転換。〃人類の議会〃国連を支援。平和憲法の人類史的意義と世界化。

02/03
【学会】創大ロス分校の開所式。

02/??
【学会】名誉会長、ドミニカを初訪問。「今日の世界で最も傑出した人物」に与えられる『クリストバル・コロン大十字勲章』を受章。

02/??
【学会】名誉会長、パナマ政府(ノリエガ将軍)より特別の功績に対し授与される同国最高位の『バスコ・ヌニエス・デ・バルボア勲章』を受章。

02/20
【学会】名誉会長がパナマで「貴国は国は小さいかも知れないが、指導者はあまりにも偉大であり、大きい」と語ったと聖教新聞で報道。

03/12
【学会】聖教新聞社、新館の開館式。

04/??
【学会】元手70億円で国際証券と特定金銭信託(特金)契約を結び、その口座を開く。(91年7/31国際証券・松谷社長記者会見)

04/??
【宗門】、虫払い法要。
猊下、
「末法万年の衆生救済の仏法においては、僧俗を問わず、この根本の一器より一器への相伝に対する信解が確立するところ、即身成仏の大法とその利益は縦横無尽(じゅうおうむじん)に開花し、顕現するのであります。」
「信解(しんげ)抜群にして宗祖・二祖の信心の血脈を疑わず、勇猛精進するところ、僧にあれ、俗にあれ、僧から憎へ、また俗から俗へ、さらに広くその信心の血脈を伝えつつ展転して、衆生を利益することが下種仏法の相であります。その一大実証は、近年、正法の日本乃至(ないし)世界広布の礎(いしずえ)を開かれた、創価学会における初代、二代、三代等の会長の方々における信心の血脈の伝承であります。」
「この信心の血脈は、古来よりの法華講の信心の歴史においても、また多く見ることができます。」
「要するに、日蓮日興の唯授一人の相伝血脈は、その信心において万人に通ずるのであり、かかる信心の血脈が正法の僧俗一切の行学の根底であります。
 ゆえに、大聖人より日興上人への血脈が、貫首(かんず)一人しか解(わか)らぬ独断的、偏見的な仏法などというのは血脈の真義を解せぬ者の戯言(たわごと)であり、信心の一念に法水が流れるところ、有智、無智を問わず、万人のために即身成仏の功徳として開かれているのであります。」
と、説法。

04/01
【学会】『SGIグラフ4月号』発行。パナマにできた池田展望台(ミラドール・イケダ)を報道。
※学会、白糸研修所内に「ノリエガ庭園」を設置するが、ノリエガ失脚後、銘板のある石碑を黒い木箱で隠蔽した。

05/16
【学会】戸田記念墓地公園内に、世界風俗館が開館。

05/25
【学会】モスクワで「核兵器 現代世界の脅威」展を開催。

07/14
宮本邸電話盗聴事件裁判の控訴審が結審。

08/04
先行減税をめぐり、向島の料亭で、自民・公明が話し合い。



公明党への説得工作
勢いに乗った中曽根さんは、61年に総裁任期を1年延長する。さらに翌年には総選挙の公約を反故にして、売上税構想をぷち上げた。
 当然国会は大混乱に陥り、売上税は昭和62年の4月に廃案になる。任期わずかしかない中曽根さんは、自らの手による間接税の導入を諦めるしかなかった。
 ただし税制改革は取り組まなければならない課題だった。そこで税制改革協議会を作り、議論は継続されることになったのだが、もはや中曽根さんの影響力は薄れ、実務を取り仕切っていたのは幹事長の竹下登さんだった。私はここでも公明党を説得するために秘密裏に動いていた。
 税制改革協議会は間接税を導入する前には先行減税が必要だという認識で一致していた。問題はいくら減税するかという点だった。
 62年の8月4日、向島の料亭で、公明党の権藤労働局長、二見伸明副書記長と私で話し合いの場を設けた。この日のメモにはこう書いている。
<小沢一郎氏から、十分期待に沿える減税額(国税2兆円)の上積みを幹事長から言わせるので、7日までに決着させてほしい>
 小沢さんは幹事長の竹下さんに話をつげ、2兆円の減税額を確保したのだった。この案に対して公明党も乗った。メモはこう続いている。
<国税2兆円の減税が実現できるなら、公明は8月17日に幹事長・書記長会談で決着させ、18日から審議入り出来るよう社・民に働きかける。その際、出口も見通しをつける>
 こういう作業の結果、この夏、先行減税法が無事可決した。先行減税はいわば消費税の前哨戦で、公明党がこれを呑まなかったら、消費税法は成立していなかっただろう。
(平野貞夫『公明党「汚れた裏面史」全真相』『現代』2004年5月号)

08/25
【学会】戸田記念墓地公園で厚田青年塾の開所式。

(ここまで)---------------------------------------------
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