第13回社長会。「警察だって、動かしているのは竹入・井上だよ」

社会をある程度知る人なら、学会ほどの権力があれば、権力に圧力をかけているであろうことは想像できます。

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1968(昭和43)年 (2)

07/05?07/06
【学会】宮本孝(新宿第3総合ブロック第9総ブロックの男子部総B長)、砂川昭夫(欧州第2本部フランクフルト部隊長)、新宿区の末端幹部から実行班を選抜、新宿区内の郵便受けから投票入場券を抜き取らせ、総ブロック拠点に集め、不在者投票(替え玉投票)をさせる。
 北林芳典、『戸二読書会』の名目で住民票を閲覧、入場券者の生年月日・本籍等を確認。



『〃替え玉投票は危ないから、やらないように徹底しよう〃というのは、創価学会でも、指令クラスの幹部の常識だった。
 ゆえに、戸別訪問と違って、替え玉投票は、本部から指令が出たりしない。むしろ〃禁止〃を強調されていたくらいである。
 それでも、ハッパをかりられ、マインドコントロールされ、投票日には〃極限状態〃にある総B・大B幹部や会員の中からは、
「あと一票」
の号令がかかると、〃替え玉投票〃への誘惑に負ける者が出た。それも、けっして少なくなかった。
 だが、昭和45(ママ)年の新宿区の事件は、そんな、生やさしいケースではなかった。
 家庭指導に回っていた幹部が、何度見ても安アパートの郵便受けに入ったままの、あるいは廊下に落ちている投票券を、多数目にした。
 一方、
「隣の人(あるいは管理するアパートの元住人)が引っ越して、もういないのに、投票券が来た。もったいないが、どうしたらよいか」
と言って拠点に持参し、指示を仰ぐ会員も少なくなかった。
 新宿区の青年部幹部が、何とかその利用ができないかと考え、やがて、総司令の八矢英世(創造社代表、壮年部長、副会長)、松山久夫氏(当時・海外局幹部、青年部常任参謀、副理事長)そして杉本芳照氏ら、新宿区都議が、謀議をこらした。
 彼らの考え出した手口は、

一、アパートなどで、本人がいないのに配布された投票券を、学会員に集めさせる
二、それを、区議達が、区役所内選挙管理委員会の〃選挙人名簿〃を閲覧して照合し、〃年齢、本籍〃などを調査・確認する
三、この調査データに基づき、年齢、性別その他、似通った学会員に、集めた投票券を渡し、それぞれ〃年齢・本籍〃等を覚えさせる
四、投票日当日の〃ハチ合わせ〃を避けるため、〃不任者投票〃の手法で投票させる
五、替え玉は電車の乗車券などをもって(同じ手口を何人も利用する)新宿区議会公明党控え室に行き、投票日は旅行中だからといって不在投票の手法を教わり、書類を作ってもらって、区議とともに選挙管理委員会に行き(あるいは電話で指導を受けて)〃不在投票〃を行なう(区議が同行・紹介すると、拒否されたりいろいろと質問されることが少ない)

という、まことに徹底した〃知能犯罪〃だった。
 こうした手口での替え玉投票が二千数百票。そして、通常の投票日に出かけて行なう替え玉投票も、数千票にのぼった。
 この年は、練馬、世田谷、そして下町でも、替え玉が多数行なわれ、検挙率も多かった。
ある選挙区で特別な手法を考え出すと、ロコミで他に伝わり、まねることが多いのも、創価学会組織の特色である。
 この事件は、たまたま複数の投票場で、本人が投票に来たところ、すでに〃不在投票〃されていることがわかり、訴え出たことが端緒となって、捜査が始まった。
 その人の住んでいたアパートの住人に疑いがかかり、捜査の結果、学会員が挙げられるのに、手間はかからなかった。
そこから、さらに、手づる式に学会員を検挙した。書類に残った指紋を照合されては、逃げ道がない。
 さらに、問題の〃不在投票者〃の前後の不在投票者の書類から、その本人達に確認してみると、これまた本人逮は「投票していない」という。
 その住んでいたアパートを調べ、また、学会員が挙げられる。
 またたく間に、7人近い学会員が逮捕された。
 大野潔氏、寺田顕之助氏(元主任参謀)ら、都議や区議らが総出で組織防衛に当たったが、すでに多数の逮捕者を出し、その上、〃接見禁止〃で打ち合わせすら思うようにはならず、〃ストーリー〃は作るハナから打ち砕かれていった。』
(山崎正友『あの頃のこと』慧妙2001年1月1日号)



『(※1993年12月9日、自民党の第4回『民主政治研究会』で)
山崎が、
「あの昭和41年(筆者注:昭和43年の間違い)に新宿区で集団替え玉投票事件がありまして、あのー、不在者投票、あのー、投票券を郵便受けからかっばらってきまして、それを公明党の区会議員が選挙人名簿に照合しまして、年齢とか本籍とか調べて、そして替え玉を仕立てて不在投票で替え玉をやりました。新宿区だけでおそらく五千票を超えていると思います。
 投票を全都で二万票近い、私が掌握したのは、それだけで集団替え玉投票をやりました」
と述べると、会場内の自民党代議士から、
「ウォー」
という声があがった。
(中略)
しかし、この山崎の嘘はあまりにも荒唐無稽すぎた。東京都選挙管理委員会が公表した『昭和43年7月7日執行参議院議員選挙の記録』(昭和44年2月25日発行)によれば、昭和43年の参議院選挙における新宿区の不在者投票者数は2404名、3年後の昭和46年の参議院選挙における新宿区の不在者投票者数は、東京都選挙管理委員会の発表によれば2320名。ほぼ代わらない数字である。』
(北林芳典『反逆の裏にある顔』P140)



『この事件では、アパートの郵便受けから、他人の投票用紙を盗み取り、これに基づいて、公明党区議会議員が住民台帳と照合し、生年月日等を調査して、同じ歳格好の人物を創価学会組織から選び出し、替え玉投票をさせた。それも、当日では本人とハチ合わせする危険があるので、投票日前に〃不在投票〃をさせる、という念の入れようであった。
 替え玉投票者は公明党区議団の控え室を訪れ、区議の紹介で、選挙管理委員会に行って不在投票をしたのであった。
 このような方法は、世田谷区、中野区等や、他の区でも行なわれた。その総数は、創価学会連絡局で掌握したところによると、五千票を越えていたということであった。
 選挙当日、投票所に行った人が、自分の名前ですでに投票されていたことを知り、届け出たのが発端となって、捜査が始まった。不在投票という方法を使っていたため、資料が残っており、その投票者本人が住んでいるアパートの住人の学会員、替え玉不在投票をした人物の前後に不在投票をした人物等々、捜査が続けられた結果、警察も検察も、空前絶後の選挙違反の実態をつかみ、十人近くを逮捕し(その中には、後に創価学会情報謀略師団の中心者となった北林芳典が含まれていた)、総力を挙げて捜査に取り組んだ。
 このままでは、創価学会も公明党も致命的な打撃を受けることが避けられない情勢となり、池田大作は竹入義勝委員長(当時)に命じて、検察・警察首脳との談合をさせた。
 当時の警視総監・秦野章氏は、竹入氏と肝胆相照らす仲で、竹入氏が実情を打ち明け頼み込むと、決く承知したが、検察庁は久しぶりの大きな獲物を前に張り切っていて、なかなか手を引く気配にならなかった。
 その当時の、検察首脳と竹入氏の話し合いの状況が、平成10年秋、次のように述べられている。

「替え玉投票事件では、警視庁の幹部にも陳情に行き、さんざん絞られた。東京地検にも行った。『二度としないので勘弁してください』と謝ったが、地検幹部から『ここに来ると、みんなそういうんだよ』とやられた。そこで『こういう事件を二度と起こさないことを誓います』と言ったら「いっぺんだけ信用しよう』といわれた。
 この事件は地検が大喜びで、『地検始まって以来の事件』と意気込んだものだったが、幸い大がかりな事件にならずに済んだ。」(『朝日新聞』平成10年9月18日付)

結局、この事件は検察・警察のお目こぼしを受けて、逮捕された者達だけが起訴され有罪となって終わり、組織の上層には及ばなかった。
 新宿区での首謀者は、区司令の八矢英世氏(外郭印刷会社創造社社長で、後に副会長に就任。妻は女子部長、婦人部長をつとめ、池田大作のお手つき女性として有名)であり、男子部長の松山久夫氏(海外局局長、後に副会長)だった。池田大作は竹入氏に、「この二人だけは何とか守ってくれ」と指示したという。』
(山崎正友『創価学会・公明党の犯罪白書』P18?19)

07/07
第八回参院選。公明党13名当選。青島幸男・石原慎太郎・横山ノック・今東光・大松博文らタレント議員全員当選。



『学会組織のピークといわれるのが、1968年(昭和43年)です。この年の得票は666万票です。24年後の1992年(平成4年)は642万票です。1995年は新進党ですから参考になりません。さて今年はどうでしょうか。この間、700万票台になつなことが三回ありますが、次には600万票台に落ちています。全国の有権者数は同期間に約2737万人増えているにもかかわらず、学会は完全に停滞しているではありませんか。』
(妙教1998年5月号)

07/08
【学会】第13回社長会。
会長、「警察だって、動かしているのは竹入・井上だよ」と発言する。

07/10
毎日新聞夕刊、「投票入場券、10万通消える大量の不正投票か世田谷など本人の手に届かず」の見出しで「七日の投票日に、他人の入場券で投票しようとした〃替玉投票〃が各投票所で相次いで発生」していると報道。(第一報)



『記事には「世田谷など」とあるが、もっともひどかったのは新宿区である。アパートやマンションの郵便受けから学会員が投票入場券を抜き取り、公明党区議などが選挙人名簿を閲覧して、生年月日を確認、同年輩の学会員を替え玉に仕立てるという手口だった。選挙当日の投票ではバレるので、不在者投票を行ったのだった。
 これは新宿区総指令(選挙責任者)八矢英世氏直々の指図で行われた組織ぐるみ事件である。事前にこの件が、組織内調査でわかったとき、池田大作は、
「創価学会も公明党も、一からやり直さなくてはならなくなるかもしれない。そこまで覚悟して、腹を決めて対処しろ」
と、竹入氏に指示した。私も公明党都議、区議団とともに必死の証拠隠滅工作奔走した。私自身、逮捕寸前までいったのである。どうにも防ぎきれぬという段階で、竹入義勝委員長は警視総監と会い、手加減を頼みこんだ。総監は話を聞き、
「なに、アパートの郵便受けから投票券をこうして(抜き取るしぐさを見せ)集めてやったのか。大胆な奴らだな……」
と言って、絶句したという。結局八人に有罪が宣告されたが、摘発は組織末端に止まった。』
(山崎正友週刊文春96年9月12日号)

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