学会員が組織を離れられない理由のひとつとして、密な人間関係がよく挙げられます。また、聖教座談会などで学会員を脅しまくっていることも効果的です。他にどんなものがあるでしょう。

日蓮には様々な奇跡的な逸話があります。国家諌暁の書にあるいくつかの予言を当てた。龍ノ口で首が切られそうになったとき、彗星が現れた。佐渡の極寒の地でも生き続けた。蒙古襲来のとき、日蓮がいたために神風が吹いた。。。

これらの逸話から、日蓮には不思議な力があると信じた人は多いのではないでしょうか。だから、辞めれば罰が当たる、なんてバカな話を信じてしまいます。少なくともわたしはそうでした。それで、ふと思いました。学会員は「奇跡的なもの」「人知の及ばない超越的な力」への依存が強いのでは、と。奇跡的なものを期待するため、賭け事で言えば「当たり」が出るまでやめられないのでは、と。結果、破綻するまで病み付きになります。

別の言い方をすれば、学会員は奇跡的なものでしかモチベーションを維持できないのです。信濃町も、あの池田さんが「超越的存在によって選ばれた人」があるかのように吹聴しますね。そもそも教義破綻しているので、そうすることでしか組織維持ができないことが分かっているのでしょう。あるいは、組織が徐々に崩壊しているので、「神風」に頼らなければいけなくなっているのですね。

さて、日蓮の逸話ですが、現在の解釈は変わっています。蒙古襲来の可能性は、僧を含めた知識階層ならみんな考えていた。幕府の内乱は、下剋上の時代にはよくある出来事であった。龍ノ口の法難における「光もの」の奇跡が史実かどうかは怪しく、龍ノ口では最初から助命される予定だった。佐渡では日蓮を援助する人々がいた。蒙古撃退は神風というより幕府の戦術が効を奏した、等々。

フィクション「人間革命」にもたくさんありますね。作り話としての奇跡が。小説(=フィクション)だと言ってるのに、本気で受け止める学会員の多いこと。パチンコでフィーバーなんてそう簡単には出ませんよ。現実世界に戻りましょうよ、学会員さん。みんな待ってますよ。
(追記 080615)
念のために書いておきますと、奇跡に頼るのは最後でいいのです。
最後まで奇跡なんぞ期待せず、地道に物事を進めるべきです。
最初っから奇跡がまずありきの学会員の多いこと。。。
奇跡に頼っているから、変な教義でも興味なく、「池田先生万歳!」で気がすむのでしょう。