平成の時代が始まります。

「盗聴事件は法難」というこの神経を何も思いませんか?学会員さん。
中国とチベットの関係をどれだけ知っていますか?学会員さん。
ダライ・ラマがノーベル平和賞として認められ、池田さんが認められないのは、日本の島国根性のせいですか?ダライ・ラマは「邪教」だら無視ですか?いつまで人のせいにしたいのですか?

「仏教の教義が科学と矛盾するなら、検証可能な事実の名の下に仏教の教えを覆すことも辞さない」(ダライ・ラマ 2005年)

この知性と柔軟性、池田さんには微塵もないでしょう。

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1989(昭和64年=平成元年)(1)

01/??
【学会】名誉会長、「法難にまた法難の幾年か大聖忍びて新春迎えむ」の和歌を発表。

01/01
共産党の宮本顕治議長、『赤旗』の新春インタビューで「最近、陰湿な反共謀略事件への民主的決着がありました。わが党の糾明は、現代の法廷でも、創価学会による私の家の盗聴という驚くべき蛮行を糾弾し、彼らも18年ぶりに敗北をみとめ、上告をとりさげざるをえなくなりました」と語る。

桜井良之助・公明党都議、東京・世田谷の東京池田記念講堂で行われた新年勤行会に出席、「今の逆境を乗り切るには選挙に勝つ以外にない。旧倍のご支援をお願いします」と挨拶する。(世田谷は池田克也衆議院議員の地元)

01/08
午前0時新元号「平成」が発効。

01/26
【学会】名誉会長、第14回『SGIの日』記念提言。新たなグローバリズム形成へ『内在的普遍』『漸進主義』の指標を提示。国連に『紛争防止センター』を。『戦争と平和展』の国際的開催。

01/28
パンチェン・ラマ7世がシガツェ訪問中に死去。



『ラマ教を信じるチベット人たちが、中国軍の進駐を受けたのは、中華人民共和国建国2年後の51年のこと。以米、59年の「チベット暴動」に代表されるようなダライ・ラマ14世の亡命、反乱や鎮圧、抵抗運動など、磅余曲折を経ながら、中国共産党による強硬な弾圧政治は今も続いている。
 中でも、チベット暴動30周年にあたる89年、その騒乱は頂点に達した。この時、区都ラサには戒厳令か敷かれ、人々は徹底的に弾圧されるのだ。
 その責任者が、当時、チベット自治区共産党書記だった胡錦濤その人なのである。
 チベット史研究家の石濱裕美子・早稲田大学専任講師によると、
「胡錦濤がチベット自治区のトップに就任することが宣言された際にもデモが起き、この時も人民武装警察が発砲してチベット国旗を掲げたチベット人が射殺されています。彼は、89年1月にラサに到着し、すぐさま第二の都シガツェに移って、文革時代に破壊された歴代のパンチェン・ラマの仏塔再建の際の落慶式に出席しますが、ここで、北京からチベットに反っていたパンチェン・ラマ10世の隣に座るのです。しかし、6日後、パンチェン・ラマ10世は、突然、〃心臓病〃で急死。落慶式の時、居並ぶ中国高官の前で、〃中国によるチベット支配によって、チベットは得たものもあるが、それよりも失ったものの方が多かった〃と発言したことで暗殺されてしまった、という噂がチベットに広まることになるんです」』
(週刊新潮2002年12月5日号)

01/29
顕正会男子部、「法論」の名目で大阪に妙観講員を呼び出し、「集団暴行」
を加える。(妙観講)

03/??
週刊実話、『危険な関係創価学会VS宗門』を掲載。



『これを始め一連の執筆は段勲が中心になってすすめられた。』
(91年6月学会『今回の問題の経過と底流』)

03/??
ダライ・ラマ14世(テンジン・ギャッツォ)、チベット解放運動のための非暴力による取組みが評価され、ノーベル平和賞受賞。
『ノーベル平和賞受賞スピーチ

陛下、ノーベル賞委員会、そして兄弟、姉妹のみなさま。本日、こうしてノーベル平和賞授賞式の席についていることは、何事にも替えがたい喜びです。チベットの平凡な僧侶である私が、この名誉ある賞の受賞者に選ばれたことに深く感動し光栄を感ずると同時に、身のひきしまる思いがしています。私は特別な人間ではありません。ですからこの賞は、仏陀とインドおよびチベットの聖者の教えにしたがって、私が実践してきた利他主義、愛、慈悲の心、非暴力の真の価値が認められたことによるのであろうと考える次第です。
 私は世界の虐げられている人々、また自由と世界平和のために戦っている人々の代理として、深い感謝をもってこの賞を受けます。同時にこの受賞を、非暴力という手段で変革を実践するという現代の輝かしい伝統の創始者である、マハトマ・ガンディーに捧げます。彼の人生こそが、私の模範であり、私を励ましてくれたのです。そしてもちろん、チベット本土にすむ勇敢な六百万のチベット人同胞の代理としてです。彼らは止むことのない圧政に苦しんでいます。チベット国民としての本来のあり方とその文化の、計画的な破壊に直面しています。この受賞によって、チベットの解放は真実と勇気と決意の力で実現すべきだ、という思いをますます新たにしました。
 地球上のどこに住もうとも、私たちはすべて同じ人間です。同じ人間として幸福を求め、苦しみを逃れようとしています。人間として同じように悩み、苦しんでいるのです。私たち人間はすべて、個人としても国民としても自由と自決の権利を求めています。これこそ人間の本質です。現在、東ヨーロッパやアフリカをはじめとして全世界で生じている大きな変革のうねりは、まさにその証明です。
 中国で民主主義を求める人々の声は、今年6月、暴力によって圧殺されてしまいました。しかし、彼らの行動が無意味だったとは思いません。自由を求める中国人の精神に再び火をともしたからです。中国といえども、世界中に吹き荒れるこの自由の精神から逃れる術はありません。勇敢な学生たちと彼らを支持する人々は、中国の指導者および世界に対して、中国にもまさに人間が住んでいることをはっきりと示したのです。
 先週チベットで公開裁判が開かれ、数名のチベット人に最高19年の刑が宣告されました。おそらくこれは、本日の受賞に対する脅しでありましょう。彼らの「罪」は、愛する祖国の独立を回復したいという、チベット人なら誰でも抱いている希望を表明したいという、ただそれだけのことでした。
 過去40年にわたる占領期間に、わが民族が受けた苦しみはよく記録に残されています。それは長く苦しい闘いでした。道理は、私たちの側にあると思っています。暴力はさらなる暴力と苦しみを生み出すだけですから、私たちの闘いは非暴力を旨とし、憎しみとは無縁でなければなりません。私たちは、わが民族を苦しみから解き放とうとしているだけであって、決して他の民族に害をおよぼそうとしているのではありません。
 だからこそ私は、チベットと中国は話し合いをすべきだと何度か提案をしたのです。1987年、チベットに平和と人権を回復するため、私は5項目の提案を行いました。チベット高原をアヒンサー地域、すなわち人間と自然が調和して生きてゆける平和と非暴力の生地にしようではないかという提案もそのひとつです。
 昨年私は、ストラスブルグの欧州会議で、この提案をさらにくわしく発表する機会を得ました。チベット人の中には譲歩しすぎであるという批判もあるようですが、これは実現可能であり、理にかなった提案だと思っています。しかし残念ながら、中国指導部は今日にいたるまでこの提案に積極的に答えようとはしていません。もしこの状態が続くのであれば、私たちも対応を考え直さなければなりません。
 チベットと中国の関係は、平等、尊敬、信頼、そして相互利益の原理に立つものでなくてはなりません。それはかつて、チベットと中国の賢明な指導者が結んだ条約の精神に立ち戻るという意味でもあります。この条約は西暦823年に石柱に刻まれたもので、その石柱は今もなおラサの聖なる寺院、チョカン寺の門前に立っています。この石柱には、「チベット人はチベットにおいて、中国人は中国において、ともに平和に暮らすものとする」と刻まれています。
 仏教僧として私は、すべての人間の苦しみに対してだけでなく、すべての生きとし生けるものの苦しみに対しても関心をはらっています。あらゆる苦しみは、無明によってひき起こされます。ひとは、幸福や満足を自己中心的に追求して、他人に苦痛を与えています。けれども真の幸福は、心の平安と足ることを知る心によってもたらせるのです。そしてこの心は、利他の精神、愛、慈悲の心を育み、無明と利己主義と欲望を克服することによって勝ちとることができるものなのです。
 今日私たちが直面する暴力、自然破壊、貧困、飢えなどの諸問題は、人間が自ら作り出した問題です。ですから、努力や相互理解、また人類愛を育むことによって解決が可能です。私たちは、お互いに対しても、また一緒に暮らすこの惑星に対しても、宇宙的な責任感を養う必要があります。仏教では、敵すらも愛し、慈悲の心をもてと教えておりますが、信仰の有無にかかわらず、誰でも温かい心と宇宙的な責任感を育てることはできます。
 止まるところを知らぬ科学の進歩が、私たちの生活に大きな影響を与えている今日この世界において、私たちの人間性を呼びもどすためにも、宗教と精神性が果たす役割は次第に大きくなっています。科学と宗教は互いに矛盾するどころか、それぞれに対する優れた洞察を秘めています。科学と仏陀の教えは両方とも、すべての存在が基本的には一つの有機的な統一体であることを説いています。私たちが地球規模の環境問題について積極的に行動するためには、この原理を理解することがどうしても不可欠です。
 すべての宗教の目的は一つしかありません。人間の善なるものを育み、あらゆる人間に幸福をもたらすことです。手段は異なるように見えても、その目的は同じです。
 私たちは、二十世紀最後の十年に足を踏み入れようとしています。人間を人間たらしめてきた古代の智慧は、私たちがより幸福な二十一世紀を迎えるためには、どうしても避けて通れないものになるはずです。
 私は、私たち全員のために祈ります。私たちを抑圧するものと私たち友人のために祈ります。人間を理解し愛することによってよりよき世界を築き、またそうすることによって、私たちがすべての生きとし生けるものの苦しみと悩みを和らげることに成功するように祈っています。
 ありがとうございました。

1989年12月10日
ノルウェー、オスロ
ダライ・ラマ十四世』

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