あの聖教地下金庫事件です。

聖教新聞の寸鉄が『今度は廃品金庫から一億七千五百万円。ゴミの中から。欲ボケ社会の戯画か縮図か。』と書いた直後に、己のことだと判明したという、なんとも赤っ恥な事件です。絵に描いたような「還著於本人」です。わたしはこの事件をきっかけに、「学会も結局のところ欲ボケ社会の縮図なんだろう」と薄々感じ始めたような気がします。

中西さんは池田さんの陰の金庫番と言われた大物です。どんな金庫番であったか、この事件がハッキリと物語っています。竹入さん、矢野さん、山崎さんを仏敵扱いで無茶苦茶に攻撃していますが、世間的には彼等のことなど何も分かりません。しかし、盗聴事件の竹岡さんやこの事件の中西さんは、世間的にも学会の信用を大きく傷付けた人物のはずです。なのになぜ彼等は仏敵扱いされないのでしょうね。

グループごとに事実を書いてみましょう。

竹入、矢野、山崎 : 学会の悪事をバラす、学会の攻撃の的
竹岡、中西 : 黙して語らず、陰でこっそり飼われる

要するに、「しゃべったら攻撃、しゃべらなきゃ許す、学会にはそれだけヤバいことがある」ということです。そんな人達が「我こそ正義」と叫んでる。まさにジョークです。

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1989(昭和64年=平成元年)(4)

06/30
横浜市旭区の産業廃棄物処理場で1億7500万円の入った金庫が発見される。
(札は旧1万円札の束で、いずれも大手都市銀行の封印のあるピン札ばかり。しかもそのなかには個人では入手できない大蔵省印の官封券が含まれている。)

日新報道、内藤国夫著『創価学会・公明党スキャンダル・ウォッチング』刊行。

07/??
参院選で社会党大勝。自民は過半数割れ。



『89年愛知は僅差で惜敗
国政選挙といえども、僅差で勝敗が分かれた例は少なくない。89年参院選で公明党の候補者は愛知選挙区(定数3)で48万2534票を獲得しながら、わずか4112票差で次点に泣いた。』
(公明党 NEW KOMEITO 2001年7月28日)

07/01
【学会】聖教新聞、『寸鉄』欄で、前日の金庫事件を揶揄。『今度は廃品金庫から一億七千五百万円。ゴミの中から。欲ボケ社会の戯画か縮図か。』

日本経済新聞、金庫事件の記事。
『現金はすべて旧一万円札で、使い古されたものと手つかずのものが半々。一千万円ごとに紫色のパラフィン紙で包んだ数束などのほかは、金庫が壊れた時のショックでバラバラになっていた。
 しかし、周辺には、大手デパートや有力菓子店の包装紙、都市銀行など数行の金融機関払の入った帯封が散らばっており、現金は一千万円単位のほか百万円単位でこれらの帯封で束ねられていたものと見られる。また、帯封の日付の大半は昭和40十年代だった。』

【学会】前日の金庫、創価学会本部から出された物と判明。

07/03
【学会】中西治雄総務、警察に届ける。

夜【学会】中西総務が「金の所有者は自分」となのり、記者会見。
「昭和46年頃から3年間、総本山大石寺で〃金杯〃の売却で二億円の売り上げがあり、予想外にうまくいって、1億7000万円の利益を得た金」
「金はすぐ使うつもりはなかったので金庫に入れておいたが、そのうち忘れてしまった」
「7月1日に気付いた」
「その金庫は、学会の知人から譲り受け、自宅が狭いので、聖教新聞社の地下倉庫に置いた」
「法人登記はせず、個人で商売したもので、脱税の金」
「(1億7000万円は、帯封が複数の金融機閑に渡っている、という質問に)
金の経理は他人に任せていたのでわからない」
(青木副会長も同席。)
(旧1万円札の封印は売店で金杯を売っていたとされる時期より、1、2年前のものばかり。)



『中西は、昭和45年ころから、業者が総本山大石寺に建設中の正本堂に関連する記念品、土産品を勝手に製作して、次々と持ち込んできたことへの対応を担当していたところ、その立場を利用して、将来の生活の保全、個人の事業欲などの動機から、金杯、扇、楯、額、メダル等をHら販宛して利益を得ることを図り、約4年間にわたって実行して現金を蓄積した。
(中略)
銀行預金では表ざたになる可能性もあると考え、当初、現金のまま身の回りに置いていたが、そのままにしておくわけにもいかず、その後、(聖教新聞社の)第九倉庫に運び込んだ金庫の中に入れてひそかに保管していた。』
(聖教新聞89年10/17)



『まず第一に、金庫から出てきた札束には銀行の帯封が付けられていた点。しかも、その中には大蔵省印刷局の封絨(ふうかん)印付きの帯封でくるまれた札束もあった。しかし、『聖教新聞』の弁解を振り返ってみると、「銀行には預けていない」とある。銀行を通していない札束に銀行の帯封がついている???
 この点について、一般紙も疑問を投げかける。
「札束の帯封には数行の金融機関朽が記されていたが、このうち同署(神奈川県警旭署)は『大蔵省印刷局封絨』印のある札束を、持ち主特定の有力な手がかりとしている。この札束は一度も市中に出回っていない未使用のもので、日銀から割り当てを受けた銀行でも、得意先など限られたケースでしか使っていないという。」(『日本経済新聞』平成元年7月1日付)市中に出回るはずのない「大蔵省印刷局封絨」印付きの帯封がついた札束(つまり未使用の札束)を、銀行には預けなかった小西氏が持っている???常識で考えれば、極めておかしな話である。
 次に、中西氏が「個人的な事業」として土産物屋を営み、その利益として莫大(ばくだい)な収益を上げていた、という点。
 というのも、同じ記者会見の席上、青木亨聖教新聞社代表理事(当時)は「聖教新聞社では兼職を禁じている。(個人的な商売は)明らかに違反行為で、処分する」(『読売新聞』平成元年7月4日付)と述べているが、聖教新聞社の職蟻であった中西氏が、創価学会本部に内緒でアルバイトをしていた、とは考えられないからである。
 しかも、その禁じられていたアルバイトで得た大金を、わざわざ他の社員の目につきそうな聖教新聞社の地下倉庫に置いていた!?まったくもって不自然な話ではないか。
 最後に、もっとも奇妙なのが、「金庫に入れたまま忘れていた」という弁解。
 当時、中西氏は自分の土地を担保に銀行から350万円の融資を受けており、1億7500万円を所有しながら、わざわざ銀行から350万円を借り入れる、などということがありえるだろうか???
 以上、簡単に疑問点を列挙してみたが、どう見ても、小西氏ならびに創価学会の弁明は弁明になっていない。ほかに真犯人、すなわち、1億7000万円の真の持ち主がいる、と考えた方がよさそうである。』
(慧妙2000年4月10日号)



『この事件は、因果をふくめられ、後々の生活を保障されることと引きかえに、中西治雄氏が、
「あの金庫は自分のもので、管理下の外郭会社の本山売店の売上げをごまかした金を、金庫にかくしたまま忘れていた」
と申し出て、表面をとりつくろった。
 しかし、きれいな旧札で、1億7000万円の札束が、きちんと風呂敷づつみにされて入っていた、という現状と、〃ヘソクリを少しずつためた〃という言い訳とが、まるで矛盾していることは明らかである。
 私の知るかぎりでは、この金は、ハ王子での土地買収をめぐる業者からのリベートであった。後に、この土地取引をめぐってトラブルが生じ、このりべート(ワイロ)を、そのまま使ってしまうと問題が生じかねなかったので、そのまま池田専用室の金庫にしまっておいたところ、その後、金庫に入れたことを忘れてしまい、先述の騒ぎの中で金庫ごと専用室から運び出したと考えられる。
 中西治雄氏は、この頃、全国に1000ヶ所近くある専用施設の取り壊しとカムフラージュ作戦の中心人物であり、多忙にまぎれて、つい目が届かなかったのであろう。
 私は、この〃リベート〃の風呂敷づつみを中西治雄氏に手渡した人物を知っており、その場面を、部下の弁護士も目撃していた。
 この風呂敷の絵柄に記憶があり、人を介してリべートを手渡した人物に確認したところ
「自分が持っていった包みに間違いない」
との返事を得ている。』
(『池田大作日本経済乗っ取りの野望(ニ)』P85)



『聖教新聞社(創価学会の営利事業部門)が値上げを見込んで買った土地が、〃事件もの〃で、売主が訴訟に負けたため、聖教新聞社が大きな損失をこうむったとか、業者の要請で銀行に導入預金し、業者も土地買収資金を融資させたところ、こげついたとか、生ぐさい話が噂となって飛びかった。
 八王子市での土地買収で、主力となって働いた創価大学理事長は、業者からリベートを取ったとか、2億円の空手形を切った、といった事件を起こし、左遷された。
 余談であるが、この八王子市の土地売買で、ある業者からのリベートが中西治雄氏経由で池田大作に渡った。しかし、その土地についてトラブルが生じたため、このリベートをどう処理したものかと思案中、会長専用室の金庫に風呂敷包みのまま入れておいた。
 後に述べる、会長専用室を恩師記念室に作りかえるカムフラージュ作業の際、この金庫も持ち出され、長い問、聖教新聞社地下の倉庫に眠っていた。
 月日がたち、担当者が変わり、この金庫も粗大ゴミとして投棄された(直接関わったのは、池田大作の妻の弟の白木管理局長といわれる)。扱ったのは、創価学会外郭会社で、聖教新聞の輸送、車輌管理、廃棄物処理などを行う「日本図書輸送株式会社」であった。
 この金庫が、横浜市のゴミ捨て場で発見され、中にピン札で1億7000万円の入った風呂敷が出て来て、大さわぎとなった。平成元年のことである。
 当初、自分のところから出たとは夢にも思わぬ創価学会は、聖教新聞紙上で「1億7000万投棄事件」をオチョくった。
 だが、警察の調べで、創価学会本部から出たゴミの中にあったことが判ると、パニックにおちいった。
 結局、既に現役をしりぞいた中西治雄氏に、因果をふくめて一切をかぶせ、中西氏が、外郭会社の本山売店の売り上げをくすね、へそくって貯めた金である、ということにしてクサイものにフタをした。』
(『池田大作日本経済乗っ取りの野望(四)P128)

07/04
読売新聞、記事。
『中西氏が記者会見で語った『札束入り金庫のことは、おいて5、6年たち、用事に追われて忘れていた』との内容も、一般人の感覚からはかけ離れている。また、中西氏は『7月1日に気付いた』と話しているが、届け出たのは3日で、この2日間の空白にも疑問がつきまとう。さらに、売上金のはずなのに、大蔵省印刷局の帯封のついた未使用の札が含まれていた点も、疑問点の一つとなっている。』

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