学会の言うところの「対話」なるものを行うと、途端に学会員が形勢不利となります。何度も書きますが、その時の彼等彼女等の捉え方は「学会攻撃」であり、逃げ口上は「批判ばかりしてないでもっと明るく生きたら」という上から目線です。それは、面白いようにコントのごとく繰り返され、わたし達の期待を裏切りません。

「哲学」という言葉を簡単に使う彼等彼女等から、人格や思考の深みを感じとれないのは残念でなりません。残念というか、正直言いますと、自分達の姿を客観的に見ることができない様子は非常に哀れです。学会員にしてみれば、「学会・池田さんは(根拠なく)正しい」という教えに忠実で、池田さんをはじめ、多くの学会本部職員の真似をしているだけなんですが。

いろいろな本に書かれておりますが、それぞれの道で成功する人に共通することは、「客観的・抽象的な思考ができ、感情コントロールが上手い」ということです。例えば一流のスポーツ選手が最も重要視していることに、イメージトレーニングと感情コントロールが挙げられるそうです。イメージトレーニングは客観的な状況を頭に描かなければなりません。また、感情制御できないと大事なところで正確な判断ができません。そういう自己鍛錬の上に、彼等の自己実現と成功があります。考えてみれば当然かもしれません。

創価学会の教義・存在を考えてみますと、まるで反対の方向に人々を煽っている団体にしか思えません。つまり、池田さんや学会員の主観のみを優先し、感情を思うままにぶちまけるべき、というのが池田創価教です。その結果、彼等にとっての「強い人間」とは、感情むき出しに我を通す人のことであり、落ち着いた考察に基づく言動をする人ではなくなります。

ですから、自分がされて嫌なことを他人には平気で行う一方で、自分にされることを極度に嫌う学会員が生産されます。そんな人が多過ぎて辟易します。そのような未熟な精神性では自分を律することなどできないため、世界平和どころか、身近な人との争いも絶えないでしょう。

最近、学会員とある問題について長時間にわたって話をしたのですが、その時に思ったことを書き留めました。一般常識ではあり得ない、学会員の自己中心的な思考と振る舞いに、周囲の我慢が限界に達していました。日本全国で同じ状況が起きているのだろうな、と思いました。