わたしが学会組織と適度な距離をとっていたころでしょうか。伝統のある、とある(非日蓮系)仏教宗派の僧侶と交流がありました。ここではOさんとします。

現代社会の僧侶は家族を持っています。創価学会がそのことを批判していますが、彼等の棚上げ論は、ここでの主題ではないので置いておきます。Oさんの父親も僧侶で、Oさんはその跡継ぎとして大変期待された方でした。

Oさんは、冷静で思慮深く、懐の深い尊敬すべき人物でした。仏教や哲学に対して造詣の深いものをお持ちでした。学問的なことだけでなく、家族や社会との関係の中で、いろいろ悩み、苦労されてきた様子が伺えました。その点、在家と出家の差などなく、苦しみながら人生を歩むところは同じだと思いました。

Oさんは、わたしにいろいろなことを教えてくださいました。最初の頃のわたしは、一応学会員としての立場だったのですが、今考えれば浅い主張を繰り返していたなあと思います。わたしは、心の奥底を見透かされているような印象を受け、彼に対して畏怖の念のようなものを抱いていました。要するにこの人には敵わないな、と。ですので、Oさんのような方がいるならば、この宗派は将来期待できるなとも思えました。

Oさんとの交流もなくなって時間がかなり経過したある日、Oさんが病で亡くなったという連絡を受けました。わたしは、強い悲哀感を持つとともに、「わたし(アロエ)はあれから成長しましたよ」とOさんに伝えられなかったことを後悔しました。まだ若く有能なOさんの死は、間違いなく大きな損失で、大変残念です。

いろいろお世話になったOさんとその家族の方々に、心から感謝の言葉を述べたいと思います。実は、わたしがこのブログを始めた理由のひとつは、Oさんに対する報いでもあります。


Oさんから頂いた「無根拠からの出発」(野家啓一著)を本棚に見る度に、Oさんを思い出します。