価値[再]創造

創価学会における素晴しき体験と
めぐり合った会員や幹部との思い出を基に
価値観を再構築していきます

戦後最大の宗教企業とその時代

学会の歴史(昭和64年=平成元年)(5)

オウム真理教の活動が盛んになる年です。

池田さん曰く、「都合が悪くなると御法主をも訴える」というのは「醜悪な本質」だそうです。要するに、何がなんでも、どんなことがあっても、世界がひっくり返ろうが、「コロコロ変化する池田さんの言葉に間違いない」という立場でなければ、学会なんぞに付いていけないでしょう。

平成元年終了。まだまだ先のデータはありますが、ここで終わります。平成2年からは、学会と宗門の喧嘩が始まります。信者という金のなる畑の奪い合いです。当の信者達は無意味な闘争に利用され続け、気が付けば池田さんが日蓮より偉くなってる暗黒時代の幕開けです。

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1989(昭和64年=平成元年)(5)

07/05
日本共産党中央委員会出版局、〃共産党ブックレット15〃として『創価学会・公明党の電話盗聴』を発行。
P55に、88年5月の『赤旗』連載記事からの再録として、
『東京高裁判決以降、本紙には読者や創価学会関係者からも激励の電話、手紙が相次いでいます。
 その中の一人、梅沢十四夫氏。元『山崎師団』メンバーで、創価学会のスパイとして働かされた人物。その反省のうえに、氏自身の人生を狂わせた創価学会の不正、反社会的謀略追及に執念を燃やしています。梅沢氏はいいます。
「北條関与の認定は当然。問題は池田さんですよ。彼がかかわっていないはずはないんだから!!」
14年前の74年10月、梅沢氏はスパイの功績を買われて、山崎の口ききで池田会長(当時)に引き合わされます。そのときの池田氏の〃ねぎらいの言葉〃は、今も記憶に鮮明です。
「全部、山崎から聞いています。これからも私を守ってください」』
等とある。

(?)
【学会】名誉会長、猊下にお目通りし、欧州訪問の報告をする。
猊下、立川寺院建立の遅れについて尋ねる。

08/??
【学会】会合の衛星中継を開始。

09/??
「福宝物産」社長=S・T(学会支部長)、原野商法の詐欺で逮捕される。



『昭和64年、不動産バブルの風潮を利用し、北海道の、ほとんど資産価値のない土地を、何もわからない主婦達などに売りつけ、いわゆる「原野商法」で詐欺罪に問われ、逮捕されたS・Tは、熱心な学会員であり、詐欺で得た多額の金を〃財務〃として創価学会に貢ぎ、池田大作から、サイン入りの著書を贈られた。
Sは、この本を仲間の学会員に自慢して見せびらかしていたという。』
(山崎正友『創価学会・公明党の犯罪白書』P42原文では実名)

09/??
『麻原は89年9月、東京・世田谷区のオウム真理教東京本部で、解脱した者(成就者)が行う殺人は善行とさえ言い切っている。
<ここに成就者がいたとしましょう。成就者がAさんを殺した。Aさんはどこに生まれ変わりますか。天界へまいります。その通りですね。しかし、このAさんを殺したという事実をだよ、人間界の人が見たなら、これは単なる殺人。――しかしマハーヤーナ(大乗)の考え方が背景にあるならば、これはりっぱな善行なんです>
麻原以下、オウム真理教の「成就者」たちは殺人を許されている。教団外の人の死は野ネズミの死に等しいからだ。この発言の二か月後、横浜の坂本堤弁護士一家殺人事件が発生している。』
(溝口敦『宗教の火遊び』P117)

09/13
【学会】聖教グラフ9月13日発行。連載『栄光の創立60周年へ創価学会の「重宝」39』で、絵画「川口湖畔での水滸会」を掲載。『創価学会40年史』に載っている元の写真から戸田・池田以外の人物をすべて消した図となっている。

09/16
【宗門】全国宗務支院長会議で数人から「本門寺改称はあるのか」との質問が出る。
※このとき猊下は改称を「否定した」と、云われている。本門寺改称は、広宣流布の達成と、正本堂がイコール遺命の事の戒壇であることを認めることになる。

10/??
【学会】SGI会長、「戦争と平和展」開催を記念した『平和貢献・国連事務総長表彰』を受ける。

(?)
【学会】中西総務を懲戒処分。中西、これをうけて学会を退会する。(以後、しばらく行方不明となる。)

(?)
【学会】秋谷会長、中西総務処分につき、「悪鬼入其身」との談話を聖教新聞に掲載。

10/16
金庫から発見された1億7500万円、他になのる人がいないとの理由から中西総務に「返還」される。

10/24
【学会】名誉会長、第22回本部幹部会でスピーチ。
『悪侶たちは、はじめ学会を波木井実長のごとく誹謗した。口は重宝なものである。下劣な人間は、ずる賢く何でも自分のために利用する。私たちは苦しい思いをしながら耐えた。
 そして私は戦った。戦ったからこそ、一身に攻撃を受けた。私は理不尽な悪侶に絶対にへつらわなかった。経文と御書に照らし、また道理の上からも、そうせざるを得なかった』
『やがて彼らの悪の姿は白日のもとにさらされた。都合が悪くなると御法主をも訴えるという醜悪な本質を多くの人が知った。仮面ははがされた。「正義」の証明はなされた(大拍手)。そもそも法衣を笠に着た権威悪などは、大聖人、日興上人に、根本的に打ち破られている(大拍手)』
等とし、52年路線の逸脱が間違いではなかったと開き直る。

10/27
【学会】聖教新聞に第22回本部幹部会における名誉会長のスピーチを掲載。

11/??
オウム真理教被害対策弁護団の坂本堤弁護士(当時33歳)、妻子とともに行方不明になる。部屋にプルシャが落ちていた。マスコミ、「オウムの仕業ではないか?」と報道。

11/01
安永弁哲著『板本尊偽作論日蓮正宗・創価学会の実態』発行。56年安井弁哲著『板本尊偽作論』の増補復刻版。
※90年発行『福田』第2号が、かつての細井総監=日達上人の破折をふまえて再破折。その折、安永弁哲が描いた〃大御本尊〃の相貌模写図を引用・掲載する。

11/02
【学会】創価大学池田記念講堂の定礎式。名誉会長、世界150大学の石を埋め込む。

11/07
【宗門】大分県別府・寿福寺の玉沢研済住職が誘拐され、大石寺に「学会が6億円ぐらい用意できんことはないだろう。学会に頼んで三菱銀行から出すようにせよ」等、身代金6億円を要求する電話が計6回かかる。

11/08
【学会】犯人の要求にしたがい、竹入央迪副会長(竹入義勝元公明党委員長の実弟)が、午後三菱銀行から6億円の大金を新札で受け取り、羽田空港から大分空港へ向かう。
犯人、逮捕される。三津木俊幸副会長が記者会見。

11/09
各新聞、僧侶誘拐犯逮捕の報道。犯人は地元の現役ブロック長・桝永康典と共犯の川野健治。
『(主犯桝永は)創価学会の熱心な活動家』『(三津木副会長、記者会見で)「寿福寺は、総本山大石寺の末寺なので、こちらには関係のないことだ。大石寺に聞いていただきたい。犯人から総本山に対して、学会の副会長かだれかが金を持ってこいとの連絡があったので、本山の依頼で行った」(と説明)』
(朝日新聞朝刊)

11/09
東ドイツ政府、国外旅行・移住規制を撤廃。ベルリンの壁、事実上崩壊する。

11/11
熊本池田平和会館落成。

11/18
【学会】名誉会長、第23回本部幹部会でスピーチ。
「牧口先生の十回忌法要の折、第56世日淳上人(当時・尊能師)は、こう仰せくださった」
「『…牧口先生は自解仏乗された方と私はしみじみ思う』
「自解仏乗」とは「自ら仏乗を解す」と読み、自分自身で仏の境地を悟ることである。もちろん、御本仏たる日蓮大聖人の御境涯のことである。
 その上で、ここでは、日淳上人が、牧口先生の偉大なる信心の実践と境涯を賞賛しておられるお言葉と拝したい(拍手)」
等と述べる。
※この言葉は日淳上人全集には載っていない。

12/??
【学会】SGI会長、コロンビア共和国功労大十字勲章を受賞。

12/10
青年書館、段勲著『創価学会池田大作打倒の反乱』を発行。
のち、FAX紙『地涌』60号で偽書とされる戸田城外の『通諜』を「筆者が52年ころ入手したもの」として掲載している。

12/22
のうが高原跡地への創価学会向けの墓苑(仮称・中国メモリアルパーク)進出問題を審議してきた広島県廿日市市議会、本会議で住民から出ていた反対の請願書を賛成多数で採択する。(反対は公明党2議員のみ。)



『学会は墓地には絶対に手をつけません。ぜんぶ宗門に御供養します。』
(会長講演集第9巻)

12/24
パナマ侵攻作戦を指揮していたサーマン米南方軍司令官は、同国最高実力者ノリエガ将軍が同日、パナマ市内のローマ法王庁外交代表部(バチカン大使館)に「投降」し、政治亡命を求めたと発表した。一方、同日夕、フィッツウォーター米大統領報道官はホワイトハウスで緊急記者会見をし、「ノリエガ恐怖支配体制は終わった」「ノリエガ将軍の投降は、パナマの自由と民主制度がいま復活していることを明確に示している」との、ブッシュ大統領の声明を読みあげた。※ノリエガは海外の元首クラスで初めて御本尊を受持した人物だった。現在ノリエガは麻薬犯罪の容疑でアメリカの刑務所に禁固されている。

12/25
ルーマニアの新政権・救国戦線評議会、チャウシェスク大統領夫妻を(1)6万人以上の市民殺害関与、(2)国民と国家権力に対する武力行使の組織化、等を理由に銃殺。
※名誉会長は会見の際、チャウシェスク大統領を愛国・平和・民族主義者であると称えたが、実際は、正反対の恐るべき独裁者だった。

(?)
『J・M平成元年から平成二年に、文芸部でイギリスの革命家のことをタイプで打つように頼まれて、立川文化会館に行ったんですけど、その時も板本尊でした。』
(慧妙1995年4月16日号)

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学会の歴史(昭和64年=平成元年)(4)

あの聖教地下金庫事件です。

聖教新聞の寸鉄が『今度は廃品金庫から一億七千五百万円。ゴミの中から。欲ボケ社会の戯画か縮図か。』と書いた直後に、己のことだと判明したという、なんとも赤っ恥な事件です。絵に描いたような「還著於本人」です。わたしはこの事件をきっかけに、「学会も結局のところ欲ボケ社会の縮図なんだろう」と薄々感じ始めたような気がします。

中西さんは池田さんの陰の金庫番と言われた大物です。どんな金庫番であったか、この事件がハッキリと物語っています。竹入さん、矢野さん、山崎さんを仏敵扱いで無茶苦茶に攻撃していますが、世間的には彼等のことなど何も分かりません。しかし、盗聴事件の竹岡さんやこの事件の中西さんは、世間的にも学会の信用を大きく傷付けた人物のはずです。なのになぜ彼等は仏敵扱いされないのでしょうね。

グループごとに事実を書いてみましょう。

竹入、矢野、山崎 : 学会の悪事をバラす、学会の攻撃の的
竹岡、中西 : 黙して語らず、陰でこっそり飼われる

要するに、「しゃべったら攻撃、しゃべらなきゃ許す、学会にはそれだけヤバいことがある」ということです。そんな人達が「我こそ正義」と叫んでる。まさにジョークです。

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1989(昭和64年=平成元年)(4)

06/30
横浜市旭区の産業廃棄物処理場で1億7500万円の入った金庫が発見される。
(札は旧1万円札の束で、いずれも大手都市銀行の封印のあるピン札ばかり。しかもそのなかには個人では入手できない大蔵省印の官封券が含まれている。)

日新報道、内藤国夫著『創価学会・公明党スキャンダル・ウォッチング』刊行。

07/??
参院選で社会党大勝。自民は過半数割れ。



『89年愛知は僅差で惜敗
国政選挙といえども、僅差で勝敗が分かれた例は少なくない。89年参院選で公明党の候補者は愛知選挙区(定数3)で48万2534票を獲得しながら、わずか4112票差で次点に泣いた。』
(公明党 NEW KOMEITO 2001年7月28日)

07/01
【学会】聖教新聞、『寸鉄』欄で、前日の金庫事件を揶揄。『今度は廃品金庫から一億七千五百万円。ゴミの中から。欲ボケ社会の戯画か縮図か。』

日本経済新聞、金庫事件の記事。
『現金はすべて旧一万円札で、使い古されたものと手つかずのものが半々。一千万円ごとに紫色のパラフィン紙で包んだ数束などのほかは、金庫が壊れた時のショックでバラバラになっていた。
 しかし、周辺には、大手デパートや有力菓子店の包装紙、都市銀行など数行の金融機関払の入った帯封が散らばっており、現金は一千万円単位のほか百万円単位でこれらの帯封で束ねられていたものと見られる。また、帯封の日付の大半は昭和40十年代だった。』

【学会】前日の金庫、創価学会本部から出された物と判明。

07/03
【学会】中西治雄総務、警察に届ける。

夜【学会】中西総務が「金の所有者は自分」となのり、記者会見。
「昭和46年頃から3年間、総本山大石寺で〃金杯〃の売却で二億円の売り上げがあり、予想外にうまくいって、1億7000万円の利益を得た金」
「金はすぐ使うつもりはなかったので金庫に入れておいたが、そのうち忘れてしまった」
「7月1日に気付いた」
「その金庫は、学会の知人から譲り受け、自宅が狭いので、聖教新聞社の地下倉庫に置いた」
「法人登記はせず、個人で商売したもので、脱税の金」
「(1億7000万円は、帯封が複数の金融機閑に渡っている、という質問に)
金の経理は他人に任せていたのでわからない」
(青木副会長も同席。)
(旧1万円札の封印は売店で金杯を売っていたとされる時期より、1、2年前のものばかり。)



『中西は、昭和45年ころから、業者が総本山大石寺に建設中の正本堂に関連する記念品、土産品を勝手に製作して、次々と持ち込んできたことへの対応を担当していたところ、その立場を利用して、将来の生活の保全、個人の事業欲などの動機から、金杯、扇、楯、額、メダル等をHら販宛して利益を得ることを図り、約4年間にわたって実行して現金を蓄積した。
(中略)
銀行預金では表ざたになる可能性もあると考え、当初、現金のまま身の回りに置いていたが、そのままにしておくわけにもいかず、その後、(聖教新聞社の)第九倉庫に運び込んだ金庫の中に入れてひそかに保管していた。』
(聖教新聞89年10/17)



『まず第一に、金庫から出てきた札束には銀行の帯封が付けられていた点。しかも、その中には大蔵省印刷局の封絨(ふうかん)印付きの帯封でくるまれた札束もあった。しかし、『聖教新聞』の弁解を振り返ってみると、「銀行には預けていない」とある。銀行を通していない札束に銀行の帯封がついている???
 この点について、一般紙も疑問を投げかける。
「札束の帯封には数行の金融機関朽が記されていたが、このうち同署(神奈川県警旭署)は『大蔵省印刷局封絨』印のある札束を、持ち主特定の有力な手がかりとしている。この札束は一度も市中に出回っていない未使用のもので、日銀から割り当てを受けた銀行でも、得意先など限られたケースでしか使っていないという。」(『日本経済新聞』平成元年7月1日付)市中に出回るはずのない「大蔵省印刷局封絨」印付きの帯封がついた札束(つまり未使用の札束)を、銀行には預けなかった小西氏が持っている???常識で考えれば、極めておかしな話である。
 次に、中西氏が「個人的な事業」として土産物屋を営み、その利益として莫大(ばくだい)な収益を上げていた、という点。
 というのも、同じ記者会見の席上、青木亨聖教新聞社代表理事(当時)は「聖教新聞社では兼職を禁じている。(個人的な商売は)明らかに違反行為で、処分する」(『読売新聞』平成元年7月4日付)と述べているが、聖教新聞社の職蟻であった中西氏が、創価学会本部に内緒でアルバイトをしていた、とは考えられないからである。
 しかも、その禁じられていたアルバイトで得た大金を、わざわざ他の社員の目につきそうな聖教新聞社の地下倉庫に置いていた!?まったくもって不自然な話ではないか。
 最後に、もっとも奇妙なのが、「金庫に入れたまま忘れていた」という弁解。
 当時、中西氏は自分の土地を担保に銀行から350万円の融資を受けており、1億7500万円を所有しながら、わざわざ銀行から350万円を借り入れる、などということがありえるだろうか???
 以上、簡単に疑問点を列挙してみたが、どう見ても、小西氏ならびに創価学会の弁明は弁明になっていない。ほかに真犯人、すなわち、1億7000万円の真の持ち主がいる、と考えた方がよさそうである。』
(慧妙2000年4月10日号)



『この事件は、因果をふくめられ、後々の生活を保障されることと引きかえに、中西治雄氏が、
「あの金庫は自分のもので、管理下の外郭会社の本山売店の売上げをごまかした金を、金庫にかくしたまま忘れていた」
と申し出て、表面をとりつくろった。
 しかし、きれいな旧札で、1億7000万円の札束が、きちんと風呂敷づつみにされて入っていた、という現状と、〃ヘソクリを少しずつためた〃という言い訳とが、まるで矛盾していることは明らかである。
 私の知るかぎりでは、この金は、ハ王子での土地買収をめぐる業者からのリベートであった。後に、この土地取引をめぐってトラブルが生じ、このりべート(ワイロ)を、そのまま使ってしまうと問題が生じかねなかったので、そのまま池田専用室の金庫にしまっておいたところ、その後、金庫に入れたことを忘れてしまい、先述の騒ぎの中で金庫ごと専用室から運び出したと考えられる。
 中西治雄氏は、この頃、全国に1000ヶ所近くある専用施設の取り壊しとカムフラージュ作戦の中心人物であり、多忙にまぎれて、つい目が届かなかったのであろう。
 私は、この〃リベート〃の風呂敷づつみを中西治雄氏に手渡した人物を知っており、その場面を、部下の弁護士も目撃していた。
 この風呂敷の絵柄に記憶があり、人を介してリべートを手渡した人物に確認したところ
「自分が持っていった包みに間違いない」
との返事を得ている。』
(『池田大作日本経済乗っ取りの野望(ニ)』P85)



『聖教新聞社(創価学会の営利事業部門)が値上げを見込んで買った土地が、〃事件もの〃で、売主が訴訟に負けたため、聖教新聞社が大きな損失をこうむったとか、業者の要請で銀行に導入預金し、業者も土地買収資金を融資させたところ、こげついたとか、生ぐさい話が噂となって飛びかった。
 八王子市での土地買収で、主力となって働いた創価大学理事長は、業者からリベートを取ったとか、2億円の空手形を切った、といった事件を起こし、左遷された。
 余談であるが、この八王子市の土地売買で、ある業者からのリベートが中西治雄氏経由で池田大作に渡った。しかし、その土地についてトラブルが生じたため、このリベートをどう処理したものかと思案中、会長専用室の金庫に風呂敷包みのまま入れておいた。
 後に述べる、会長専用室を恩師記念室に作りかえるカムフラージュ作業の際、この金庫も持ち出され、長い問、聖教新聞社地下の倉庫に眠っていた。
 月日がたち、担当者が変わり、この金庫も粗大ゴミとして投棄された(直接関わったのは、池田大作の妻の弟の白木管理局長といわれる)。扱ったのは、創価学会外郭会社で、聖教新聞の輸送、車輌管理、廃棄物処理などを行う「日本図書輸送株式会社」であった。
 この金庫が、横浜市のゴミ捨て場で発見され、中にピン札で1億7000万円の入った風呂敷が出て来て、大さわぎとなった。平成元年のことである。
 当初、自分のところから出たとは夢にも思わぬ創価学会は、聖教新聞紙上で「1億7000万投棄事件」をオチョくった。
 だが、警察の調べで、創価学会本部から出たゴミの中にあったことが判ると、パニックにおちいった。
 結局、既に現役をしりぞいた中西治雄氏に、因果をふくめて一切をかぶせ、中西氏が、外郭会社の本山売店の売り上げをくすね、へそくって貯めた金である、ということにしてクサイものにフタをした。』
(『池田大作日本経済乗っ取りの野望(四)P128)

07/04
読売新聞、記事。
『中西氏が記者会見で語った『札束入り金庫のことは、おいて5、6年たち、用事に追われて忘れていた』との内容も、一般人の感覚からはかけ離れている。また、中西氏は『7月1日に気付いた』と話しているが、届け出たのは3日で、この2日間の空白にも疑問がつきまとう。さらに、売上金のはずなのに、大蔵省印刷局の帯封のついた未使用の札が含まれていた点も、疑問点の一つとなっている。』

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学会の歴史(昭和64年=平成元年)(3)

国内でドロドロした出来事が頻発したのを裏腹に、この時期の池田さんはヨーロッパ各地を旅してましたね。現在はヨーロッパ諸国にはあまり縁がなさそうですが。

著名人と会ったというサプライズニュースで悪いニュースを目立たなくしたのですね。情報操作の基本ですね。

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1989(昭和64年=平成元年)(3)

03/31
三菱商事ディベロッパー事業部、大阪市内の造船会社から中国製の陶磁器約200点を約22億5000万円で購入、これを東京富士美術館に寄託する。

04/??
『高橋(公純)は段(勲)を連れ韓国で檀徒作りを行った。段は「週刊実話」の5/4号に「韓国の創価学会分裂騒動」という記事を執筆』(91年6月学会『今回の問題の経過と底流』)

04/??
【学会】東京富士美術館で『微笑の国・タイ王国プーミポン国王陛下御撮影特別写真展』を開催。オープニング・セレモニーにチュラポーン第三王女と常陸宮夫妻が出席する。

04/10
講談社、藤原行正著『池田大作の素顔』を出版。

04/16
【学会】滋賀研修道場で、大学会結成と創価同窓の合同総会。
名誉会長、チャ?チルの「敗北には抵抗」という言葉をひき、「党に支配されても、宗門に支配されてもいけない。矢野(公明党委員長)だって汚いじゃないか。明電工から金もらってる」と批判。翌日の聖教にはこの部分が載らず。

04/25
竹下首相、リクルート事件で責任を取り、退陣表明。
※以後、キングメーカーとして自民党に君臨する。学会との太いパイプは佐藤・田中以来で、98?99年には自自公連立を画策。病を得、入院するが、死去するまでなお隠然たる影響力を維持していた。

04/26
竹下首相の秘書の青木伊平、自宅マンションで左手首などを切り、縊死。いわゆる疑獄事件キーマンの謎の死。

05/01
【学会】聖教新聞第3面の連載『栄光の創立60周年へ創価学会の「重宝」』で油彩絵画「歓喜の胴上げ」を掲載。『会長写真集』にある会長就任式の写真から田代富士男を消し池田香峯子を書き加えた図を絵に直したもの。

05/07
顕正会の浅井会長、幹部大会で本門寺改称断固阻止を述べる。
※この発言を中心にした『顕正新聞』特集号が創価学会員を対象に配布された。



『浅井のいう「本門寺改称の陰謀」
(1)来年(※平成2年)は、富士大石寺建立700年、創価学会創立60周年、戸田2代会長の33回忌、池田3代会長の就任30周年にあたる。これを期して、日蓮正宗宗門は学会と共謀し、未だ広宣流布でもないのに、大石寺を本門寺に改称しようとする陰謀を進めている。
(2)その準備として、大石寺では、大化城(だいけじょう)を取り壊して大客殿前に大広場を造成し、大客殿正面の不開門(あかずのもん)も広場東側の鬼門の隣に移設した。こうしてできる大広場を、中国の天安門広場あるいはソ連の赤の広場のごとくして、ここで広布達成を偽る大儀式を行なう予定である。
(3)具体的スケジュールとしては、まず、来年(※平成2年)3月16日、総理および閣僚の何人かを大石寺に招待し、時の総理を国主に見立て、池田大作は精神界の王者たる国父を気取り、総理等および管長以下宗務役僧を先導して、なんと不開門を開けて通り、大広場で広布達成の宣言を行なう。その後、広布達成を記念して、天生原に大規模な広布記念塔を建て、安母山戒壇説を主張する顕正会の追求をかわす。かくて、10月12日、いよいよ日顕上人が本門寺改称を強行するものと思われる。
(4)このような大護法を、顕正会だけは許さない。明年(※平成2年)、横浜アリーナに一万数千名を結集して、陰謀粉砕の大総会を開く。そして、顕正会の命運を賭して陰謀を断固粉砕する。「今まで生きて有りつるは、この事に値はん為なリ」とあるように、たとえ、顕正会の命が失われても本望である。(趣意)』
(小川只道『新編摧破異流義考』P112?113)



※宗門は改称の意志など微塵もなかったとする。問題は創価学会にその意志があり当時宗門に要請したかどうか、そして宗門がそれを断った事実があるかどうかだろう。そうでなければ大石寺で文化祭を行なうなどという珍妙な風景の説明がつかない。

05/13
長野県東筑摩郡本城村の山中(青木峠)で、くるぶしに座りダコのある女性のバラバラ死体と男児の腐乱死体が発見される。(のち、学会員=A・A子とA・Hの母子と判明。)



『船橋市幼児バラバラ殺人事件(平成元年5月、千葉県船橋市の熱心な創価学会員・A・A子さんと長男のHちゃんが、同じく学会員である夫のA・Tに殺された。動機は生活苦であった。バラバラにされた死体が聖教新聞に包まれ、シキミとともに長野県の山中に捨てられていたこの事件は、社会に大きな衝撃を与えた。なぜ、いたいけな幼児が虐殺されなければならなかったのか。また、なぜ、その母親が無惨にも切り刻まれなければならなかったのか。何ともむごい、胸の痛む事件であった。重荷になる妻子を殺して自分だけが、生活苦から逃れようとした、犯人のエゴもさることながら、家庭の崩壊を招き、我が子の生命を守りきれなかった妻が熱心な学会員であったこと、そして、同じ学会員の夫に惨殺されたという点に、創価学会の教義のブラックホールがかいま見られると思うのは筆者だけではあるまい。)』
(山崎正友『創価学会・公明党の犯罪白書』P43※原文では実名)

05/14
長野県松本署捜査本部、バラバラ殺人の遺留品から千葉県内で配られた4月23日付聖教新聞を発見したと発表。(胸と腹部の切断面を包むのに使われていた。)

05/15
各新聞、長野バラバラ殺人に聖教新聞が使われていたと報道。

05/16
長野県松本署捜査本部、バラバラ殺人死体遺棄事件で、死体発見現場付近で2本のシキミを見つけたと公表。(各新聞、夕刊でこれを報道。)

05/17
公明党池田克也衆議院議員、リクルート疑惑について東京地検特捜部の取り調べを受ける。

公明党矢野書記長、公明会館(東京・新宿)で記者会見。自身の明電工疑惑を棚上げし、池田議員の取り調べと田代富士男前公明党参議院議員の砂利船汚職での起訴を主な理由として辞任を表明する。

05/??
公明党、石田幸四郎委員長、市川雄一書記長体制になる。マスコミは、無名の石田幸四郎がなぜ委員長か、といぶかしがる論調。

05/22
【学会】SGI会長、ロンドンの首相官邸にサッチャー首相を訪ね、会談。

各新聞、長野バラバラ殺人死体遺棄事件の犯人(夫=阿部隆)逮捕を報道。

05/25
【学会】SGI会長、イギリス王室のアン王女をバッキンガム宮殿に表敬訪問。

05/??
【学会】、アン王女とSGI会長の会見を聖教新聞第1・3面で報道。『この記事は、私的な会見であるため、会見終了後、内容を取材し、聖教新聞社でまとめたものです』の但し書きがある。

06/??
【学会】SGI会長、スウェーデンを初訪問。

06/??
【学会】SGI会長、国連難民高等弁務官事務所から『人道賞』を受賞。

06/04
未明天安門事件、発生。人民解放軍の戦車・装甲車と、学生・市民が衝突。

06/05
【学会】SGI会長、スウェーデンのカール16世グスタフ国王を表敬訪問。

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学会の歴史(昭和64年=平成元年)(2)

「なんでもいいから、言い返すんだ。こわがったり、ひるんだりしてはいけない。怒鳴っていけばいいんだ。(中略)反逆者は『この野郎、馬鹿野郎』でいいんだ!」(池田大作)

永遠の指導者の素晴しい御言葉です。

「信濃町六老僧」の一人と本部内で揶揄される八尋さん、ルノアール絵画で頑張った年ですね。

『創価学会はこの事件が発覚したとき、「絵を見てくれといわれた」「取引とは無関係」と、第三者的な発言をしていたが、読売新聞(同年4月5日)に、「創価学会副会長が同席」と、スッパ抜かれて初めて態度を軟化し、・・・』

後の聖教地下金庫事件でもそうですが、学会ってバレなきゃ何でもありですよねえ。

(ここから)---------------------------------------------

1989(昭和64年=平成元年)(2)

03/07
中国、ラサに戒厳令。



『虐殺・拷問の責任者
胡錦濤氏の豪腕は、それから遺憾なく発揮されることになる。
 89年の3月8日と9日。チベットの旧正月であるこの日は、チベット人があちこちに集まる日であり、例年、不穏な動きがある。チベット暴動30周年にあたるこの年は、パンチェン・ラマ10世が死去したことも重なって大きな暴動が発生するのである。
『チベット問題を考える会』代表で僧侶でもある小林秀英氏がいう。
「89年3月8日、胡錦濤は、拡大する暴動に、新中国発足以来、初めての戒厳令を発令するのです。最初の2日間で200人のチベット人が殺され、その後の取り締まりで1ヵ月間におよそ1000人が死亡したと亡命チベット政府は発表しています。当時、日本人の観光客も現地にいたのですが、若い兵士が広場に入って来て、いきなり民衆に発砲したり、ホテルや建物にまで向かって乱射する様子が目撃されています」
 そして捕まったチベット人に対する拷問は筆舌に尽くし難いものだった。
「通常は牛や馬などを飼い慣らす時に使う強い電流が流れる〃電気棒〃彼らは人間に使ったのです。凄まじい電流が流れますから、これでチベット人の分離思想や独立思想を破棄させようというわけです。さらに身体を天井から吊り下げて、その下で火を焚かれて拷問を受けた人や、極寒の中、裸で外に立たせ、その上で水を浴びせかける拷問を受けた人もいる。また、手足の骨を折られて身体が部分的に麻痺してしまった囚人や、〃チベットに自由を〃と叫んだために射殺された囚人など、悲惨な例は数えされません。豚肉を食べない僧侶や尼僧に、わざと古くなった野菜と豚肉を食べさせたり、親中田のスローガンを叫ばせたり、ダライ・ラマを批判させたり、中国の愛国歌を歌わせたり、そんなことも獄中でおこなったそうです。胡錦濤といえば、この過酷な弾圧の張本人という思いしか我々にはありませんね」
が、逆にこの鎮圧成功によって北京では胡錦濤の評価は一気に高まるのである。そしてわずか3ヵ月後、天安門事件(六・四事件)の際には、これが戒厳令発令のモデルケースとされるのだ。
「北京に戒厳令が敷かれることに真っ先に同意の電報を打ったのが、ほかならぬ胡錦濤。まさに彼の出世はここから始まったのです」(小林氏)
中国問題に詳しいジャーナリストの相馬勝氏もいう。
「ソフトな風貌からは想像できない胡錦濤のこの強硬な姿勢は、トウ小平ら当時のトップに絶大な信頼を勝ち得ることになり、チベットから戻った92年、一気に3段飛びで共産党中央政治局常務委員に選出されるのです。基本的に彼はマルキストですから、出世と保身のためには市民を犠牲にすることを何とも思っていませんね。実は、胡錦濤は失脚した胡耀邦の派閥に属しており、チベット赴任は、一種の左遷だったのですが、逆にここでの弾圧で出世コースに乗ったことになります」』
(週刊新潮2002年12月5日号)

03/12
【学会】名誉会長、埼玉指導で
「『仏法は勝負』にどれほど深い意義があるか、皆わかっていない。物事は正邪ではない。勝つか負けるかなんだ。全員が『勝つ』と強く決めていけ!勝つか負けるか。やられたらやりかえせ。世間などなんだ!私は恐れなど微塵もない。勇者は私だ。私だけ戦っている。強気でいけ!強気で勝つんだ!強気、強気、強気でいこう。どこまでもしぶとくいくんだ。
(中略)
なんでもいいから、言い返すんだ。こわがったり、ひるんだりしてはいけない。怒鳴っていけばいいんだ。
(中略)
反逆者は『この野郎、馬鹿野郎』でいいんだ!」
等と述べる。

03/28
三菱商事、帝国ホテル桂の間で、ルノワールの「浴後の女」と「読書する女」を36億円(1枚1億円の無横線小切手、36枚)で買いとる取引きをする。
 これには売り手側=画商、「アート・フランス」石原社長、「立花」立花取締役、マネジメント会社役員、企業コンサルタントら数名、買い手側=三菱商事社員、東京富士美術館・高倉達夫副館長、創価学会・八尋頼雄副会長が同席。三菱商事はフランス人の署名のある領収書2枚と鑑定書、2点の絵画を受け取る。



『2点の絵画が東京富士美術館に渡ったのは1年半後の昨年(90年)9月18日。「浴後」を34億円、「読書」を7億円の計41億円で三菱商事から購入した。
 疑惑の焦点は三菱商事の振り出した預金小切手36枚(額面1枚1億円)の行方。21枚は絵画代金として流れ、港区南麻布の画商に18枚、石原社長に仲介料名目で3枚が渡った。しかしこの二人も取引後、古物営業法に義務付けられた古物台帳に2点の販売を記載していなかった。
 残る15枚が使途不明とされ、うち14枚は、架空名義で換金されており、疑惑が増幅された』
(91年7/25付毎日新聞)



『いがけないミステリアスな事件に拡大。実はいまだに解明されていない部分があるのだ。
 事の経過をざっと記してみよう。89年3月28日午後、帝国ホテル4階「桂の間」に、ルノワールの絵画「浴後の女」「読書する女」の二枚が持ち込まれた。同室には、8人分のコーヒーを運んだホテルボーイを除けば次のメンバーが顔を揃えていた。
一、絵画の買い手。現場で36億円を支払った「三菱商事」デベロッパー事業部のO部長代理。
二、最終的な買い手で、絵画の鑑定役を兼ねた創価学会系の「東京富士美術館」T副館長。
三、同じく、東京富士美術館の〃スポンサー〃的役割を果たした創価学会のY副会長。
四、絵画売り手の画商「アートフランス」のI社長。
五、「浴後の女」(50号)の持ち主で市中金融業の部長。
六、絵画の仲介役、帝国ホテル地下で陶器店を開業する女性役員、T女史。
七、同じく仲介役、企業コンサルタント会社相談役のM氏。
八、同、情報マネジメント会社の取締役、K氏。
この8人の目が光る密室の部屋で、売り手の画商「アートフランス」が、三菱商事に21億2500万円で売却したと延言すれば、買い手の三菱商事は、国税当局に26億円で購入と説明。その差額、正確には14億7500万円の〃行方〃が問題になったのである。
(中略)
いくつか疑問点をあげてみよう。
 第一に、三菱商事が支払った36億円は、額面1枚1億円の無横線小切手(預金小切手)であった。巨額の現金を持ち歩く危険さと不便さが解消される無横線小切手は、銀行が自行あてに発行するもので、現金同様の信用度を持つ。その一方で、盗難にあったり、拾った人にも無条件で支払われるという危険性も伴う。つまり、当日、三菱商事の部長代理は36億円の現金を持って、帝国ホテル界隈を歩いていたことになる。どうしてこんな危険を冒したのか。
 第二に、絵画を購入した三菱商事の窓口であるデベロッパー事業部は、絵画とは無関係で、本来の事業は、土地開発とか建設を担当している部署である。まるで、畑違いの商取引なのだ。
 第三に、画商と三菱商事の取引に、なぜ創価学会の副会長が同席していたのか。当初、創価学会はこの事件が発覚したとき、「絵を見てくれといわれた」
「取引とは無関係」と、第三者的な発言をしていたが、読売新聞(同年4月5日)に、
「創価学会副会長が同席」
と、スッパ抜かれて初めて態度を軟化し、翌日の聖教新聞にこう報じた。
「昭和63年12月中旬か下旬ごろ、企業コンサルタント会社社長から、弁護士で学会副会長である八尋頼雄氏に対し、ルノアールの絵を学会か美術館に紹介したいとの話があった。価格は『浴後の女』『読書する女』の二点で合計36億円で、権威ある鑑定もあるので心配ない。……八尋氏は美術品の話であるので、これを東京富士美術館の高倉達夫副館長に紹介した。同美術館は検討の結果、ルノアールの大型作品は数少ないものであり、館蔵品として是非ほしいが、すぐには資金のメドがつかない」そこで、八尋氏が、知り合いの三菱商事社員に話し、同社が検討のうえ、これを購入することになった、と言う。
 その後、学会から東京富士美術館が所要資金の寄付を受け、
「平成2年9月18日、『浴後の女』を34億円、『読書する女』を7億円で三菱商事から購入し、最終的にその所有権を取得した」
と言うのだ。要するに学会(東京富士美術館)は、三菱商事が26億円で購入した絵画二点を、5億円上乗せして41億円で購入したのである。
 この絵画取引疑惑では国税庁、警視庁も捜査に動き、仲介業者など2社5人が起訴されたが、消えた15億円のうち、3億円の行方がわからないまま捜査が終了している。この絵画取引疑惑が発覚してから3か月後の(91年)7月、創価学会が「損失補填」4億5700万円を受理していたことが判明した。学会は証券会社からの「損害賠償である」と弁明したが、これで学会が、70億円もの株取引をしていたことが明るみに出ることになった。』
(『創価学会財務部の内幕』P122?123)

(ここまで)---------------------------------------------

学会の歴史(昭和64年=平成元年)(1)

平成の時代が始まります。

「盗聴事件は法難」というこの神経を何も思いませんか?学会員さん。
中国とチベットの関係をどれだけ知っていますか?学会員さん。
ダライ・ラマがノーベル平和賞として認められ、池田さんが認められないのは、日本の島国根性のせいですか?ダライ・ラマは「邪教」だら無視ですか?いつまで人のせいにしたいのですか?

「仏教の教義が科学と矛盾するなら、検証可能な事実の名の下に仏教の教えを覆すことも辞さない」(ダライ・ラマ 2005年)

この知性と柔軟性、池田さんには微塵もないでしょう。

(ここから)---------------------------------------------

1989(昭和64年=平成元年)(1)

01/??
【学会】名誉会長、「法難にまた法難の幾年か大聖忍びて新春迎えむ」の和歌を発表。

01/01
共産党の宮本顕治議長、『赤旗』の新春インタビューで「最近、陰湿な反共謀略事件への民主的決着がありました。わが党の糾明は、現代の法廷でも、創価学会による私の家の盗聴という驚くべき蛮行を糾弾し、彼らも18年ぶりに敗北をみとめ、上告をとりさげざるをえなくなりました」と語る。

桜井良之助・公明党都議、東京・世田谷の東京池田記念講堂で行われた新年勤行会に出席、「今の逆境を乗り切るには選挙に勝つ以外にない。旧倍のご支援をお願いします」と挨拶する。(世田谷は池田克也衆議院議員の地元)

01/08
午前0時新元号「平成」が発効。

01/26
【学会】名誉会長、第14回『SGIの日』記念提言。新たなグローバリズム形成へ『内在的普遍』『漸進主義』の指標を提示。国連に『紛争防止センター』を。『戦争と平和展』の国際的開催。

01/28
パンチェン・ラマ7世がシガツェ訪問中に死去。



『ラマ教を信じるチベット人たちが、中国軍の進駐を受けたのは、中華人民共和国建国2年後の51年のこと。以米、59年の「チベット暴動」に代表されるようなダライ・ラマ14世の亡命、反乱や鎮圧、抵抗運動など、磅余曲折を経ながら、中国共産党による強硬な弾圧政治は今も続いている。
 中でも、チベット暴動30周年にあたる89年、その騒乱は頂点に達した。この時、区都ラサには戒厳令か敷かれ、人々は徹底的に弾圧されるのだ。
 その責任者が、当時、チベット自治区共産党書記だった胡錦濤その人なのである。
 チベット史研究家の石濱裕美子・早稲田大学専任講師によると、
「胡錦濤がチベット自治区のトップに就任することが宣言された際にもデモが起き、この時も人民武装警察が発砲してチベット国旗を掲げたチベット人が射殺されています。彼は、89年1月にラサに到着し、すぐさま第二の都シガツェに移って、文革時代に破壊された歴代のパンチェン・ラマの仏塔再建の際の落慶式に出席しますが、ここで、北京からチベットに反っていたパンチェン・ラマ10世の隣に座るのです。しかし、6日後、パンチェン・ラマ10世は、突然、〃心臓病〃で急死。落慶式の時、居並ぶ中国高官の前で、〃中国によるチベット支配によって、チベットは得たものもあるが、それよりも失ったものの方が多かった〃と発言したことで暗殺されてしまった、という噂がチベットに広まることになるんです」』
(週刊新潮2002年12月5日号)

01/29
顕正会男子部、「法論」の名目で大阪に妙観講員を呼び出し、「集団暴行」
を加える。(妙観講)

03/??
週刊実話、『危険な関係創価学会VS宗門』を掲載。



『これを始め一連の執筆は段勲が中心になってすすめられた。』
(91年6月学会『今回の問題の経過と底流』)

03/??
ダライ・ラマ14世(テンジン・ギャッツォ)、チベット解放運動のための非暴力による取組みが評価され、ノーベル平和賞受賞。
『ノーベル平和賞受賞スピーチ

陛下、ノーベル賞委員会、そして兄弟、姉妹のみなさま。本日、こうしてノーベル平和賞授賞式の席についていることは、何事にも替えがたい喜びです。チベットの平凡な僧侶である私が、この名誉ある賞の受賞者に選ばれたことに深く感動し光栄を感ずると同時に、身のひきしまる思いがしています。私は特別な人間ではありません。ですからこの賞は、仏陀とインドおよびチベットの聖者の教えにしたがって、私が実践してきた利他主義、愛、慈悲の心、非暴力の真の価値が認められたことによるのであろうと考える次第です。
 私は世界の虐げられている人々、また自由と世界平和のために戦っている人々の代理として、深い感謝をもってこの賞を受けます。同時にこの受賞を、非暴力という手段で変革を実践するという現代の輝かしい伝統の創始者である、マハトマ・ガンディーに捧げます。彼の人生こそが、私の模範であり、私を励ましてくれたのです。そしてもちろん、チベット本土にすむ勇敢な六百万のチベット人同胞の代理としてです。彼らは止むことのない圧政に苦しんでいます。チベット国民としての本来のあり方とその文化の、計画的な破壊に直面しています。この受賞によって、チベットの解放は真実と勇気と決意の力で実現すべきだ、という思いをますます新たにしました。
 地球上のどこに住もうとも、私たちはすべて同じ人間です。同じ人間として幸福を求め、苦しみを逃れようとしています。人間として同じように悩み、苦しんでいるのです。私たち人間はすべて、個人としても国民としても自由と自決の権利を求めています。これこそ人間の本質です。現在、東ヨーロッパやアフリカをはじめとして全世界で生じている大きな変革のうねりは、まさにその証明です。
 中国で民主主義を求める人々の声は、今年6月、暴力によって圧殺されてしまいました。しかし、彼らの行動が無意味だったとは思いません。自由を求める中国人の精神に再び火をともしたからです。中国といえども、世界中に吹き荒れるこの自由の精神から逃れる術はありません。勇敢な学生たちと彼らを支持する人々は、中国の指導者および世界に対して、中国にもまさに人間が住んでいることをはっきりと示したのです。
 先週チベットで公開裁判が開かれ、数名のチベット人に最高19年の刑が宣告されました。おそらくこれは、本日の受賞に対する脅しでありましょう。彼らの「罪」は、愛する祖国の独立を回復したいという、チベット人なら誰でも抱いている希望を表明したいという、ただそれだけのことでした。
 過去40年にわたる占領期間に、わが民族が受けた苦しみはよく記録に残されています。それは長く苦しい闘いでした。道理は、私たちの側にあると思っています。暴力はさらなる暴力と苦しみを生み出すだけですから、私たちの闘いは非暴力を旨とし、憎しみとは無縁でなければなりません。私たちは、わが民族を苦しみから解き放とうとしているだけであって、決して他の民族に害をおよぼそうとしているのではありません。
 だからこそ私は、チベットと中国は話し合いをすべきだと何度か提案をしたのです。1987年、チベットに平和と人権を回復するため、私は5項目の提案を行いました。チベット高原をアヒンサー地域、すなわち人間と自然が調和して生きてゆける平和と非暴力の生地にしようではないかという提案もそのひとつです。
 昨年私は、ストラスブルグの欧州会議で、この提案をさらにくわしく発表する機会を得ました。チベット人の中には譲歩しすぎであるという批判もあるようですが、これは実現可能であり、理にかなった提案だと思っています。しかし残念ながら、中国指導部は今日にいたるまでこの提案に積極的に答えようとはしていません。もしこの状態が続くのであれば、私たちも対応を考え直さなければなりません。
 チベットと中国の関係は、平等、尊敬、信頼、そして相互利益の原理に立つものでなくてはなりません。それはかつて、チベットと中国の賢明な指導者が結んだ条約の精神に立ち戻るという意味でもあります。この条約は西暦823年に石柱に刻まれたもので、その石柱は今もなおラサの聖なる寺院、チョカン寺の門前に立っています。この石柱には、「チベット人はチベットにおいて、中国人は中国において、ともに平和に暮らすものとする」と刻まれています。
 仏教僧として私は、すべての人間の苦しみに対してだけでなく、すべての生きとし生けるものの苦しみに対しても関心をはらっています。あらゆる苦しみは、無明によってひき起こされます。ひとは、幸福や満足を自己中心的に追求して、他人に苦痛を与えています。けれども真の幸福は、心の平安と足ることを知る心によってもたらせるのです。そしてこの心は、利他の精神、愛、慈悲の心を育み、無明と利己主義と欲望を克服することによって勝ちとることができるものなのです。
 今日私たちが直面する暴力、自然破壊、貧困、飢えなどの諸問題は、人間が自ら作り出した問題です。ですから、努力や相互理解、また人類愛を育むことによって解決が可能です。私たちは、お互いに対しても、また一緒に暮らすこの惑星に対しても、宇宙的な責任感を養う必要があります。仏教では、敵すらも愛し、慈悲の心をもてと教えておりますが、信仰の有無にかかわらず、誰でも温かい心と宇宙的な責任感を育てることはできます。
 止まるところを知らぬ科学の進歩が、私たちの生活に大きな影響を与えている今日この世界において、私たちの人間性を呼びもどすためにも、宗教と精神性が果たす役割は次第に大きくなっています。科学と宗教は互いに矛盾するどころか、それぞれに対する優れた洞察を秘めています。科学と仏陀の教えは両方とも、すべての存在が基本的には一つの有機的な統一体であることを説いています。私たちが地球規模の環境問題について積極的に行動するためには、この原理を理解することがどうしても不可欠です。
 すべての宗教の目的は一つしかありません。人間の善なるものを育み、あらゆる人間に幸福をもたらすことです。手段は異なるように見えても、その目的は同じです。
 私たちは、二十世紀最後の十年に足を踏み入れようとしています。人間を人間たらしめてきた古代の智慧は、私たちがより幸福な二十一世紀を迎えるためには、どうしても避けて通れないものになるはずです。
 私は、私たち全員のために祈ります。私たちを抑圧するものと私たち友人のために祈ります。人間を理解し愛することによってよりよき世界を築き、またそうすることによって、私たちがすべての生きとし生けるものの苦しみと悩みを和らげることに成功するように祈っています。
 ありがとうございました。

1989年12月10日
ノルウェー、オスロ
ダライ・ラマ十四世』

(ここまで)---------------------------------------------
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