価値[再]創造

創価学会における素晴しき体験と
めぐり合った会員や幹部との思い出を基に
価値観を再構築していきます

戦後最大の宗教企業とその時代

学会の歴史(昭和63年) (2)



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1988(昭和63)年(2)

05/22
【学会】本部幹部会で退転者名簿を発表。創価高校校長の小林道夫、学会副会長を拝命。

05/26
【学会】創価高校の小林道夫校長、教職員に
「学園としては待ちに待った先生のご来校であります。いちばん心配しておりました天気もどうやら晴れ上がってまいりまして、晴天でよかった。
 先生は非常にお忙しい中を、時間をかきわけるようにして学園へお出でくださる。特に高校一年生は、学園に入ってきたほとんどの理由が、先生との出会いにあります。その最良の日を今日迎える。彼らにとって生涯忘れられない日となる……(教職員は)休み時間、昼休みに、もう一度、学校中の掃除のチェックを願います。先生を気持ちよくお迎えしようという真心は、形に現れなければ真心とはいえない」等と述べる。
(『現代』1990年4月号「池田創価大学・学園「池田洗脳教育」50時間テープ」)



『また、内部関係者によると、七月の栄光祭が近づくと、小林は次のような発言を全校集会などで行っていたという。
「創立者と生涯変わらぬ師弟の誓いを立てるのが栄光祭です。他の学校では絶対ありえない、学園のみの名誉ある儀式なのです。創立者のご期待に応える不退転の決意が必要であります。しかし、今年は諸般の事情により、先生はお見えにならないかもしれない。創立者に出席していただくことが、とりもなおさず栄光祭の成功を意味する。諸君の一念、師匠への熱き思いが試されるのです。祈って祈って創立者池田先生をお呼びしようではありませんか」』
(古川利明『カルトとしての創価学会=池田大作』P37)

05/27
週刊ポスト6月7日号発売。『巨大教団の内幕追撃』を掲載。解任された埼玉県幹部3人と西村埼玉県長の対論がある。

06/??
【学会】SGI会長、第3回国連軍縮特別総会を記念した『国連栄誉表彰』を授与される。

06/01
【学会】名誉会長、第3回『国連軍縮特別総会』へ記念提言。『新軍縮大憲章』の採択を提案。その具体的な柱として、討議と検証機能をもつ『国連軍縮機構』の創設。各国に平和省の設置。

06/06
公明党、大橋敏雄議員を、女性問題などを理由に党から除名。



大橋問題に対する公明党の対応は、あまりに稚拙だった。6月6日、公明党は、告発の内容とは無関係な、「金銭トラプル」や「女性スキャンダル」を理由に大橋議員を除名する。この対応にも批判が集中した。
 6月14日には、公明会館で開催された第60回中央委員会で、挨拶に立った矢野絢也委員長が、大橋問題について掘り下げた討議を要請した。さらに大久保直彦書記長は、政教分離の路線をさらに進めていく決意を表明した。
 それから1週間後の6月21日、私は大久保書記長から議員会館の部屋に呼ばれ、大橋問題への対応を相談された。大久保書記長の部屋には、石田幸四郎副委員長、伏木和雄副委員長の顔もあった。この日のメモにはこう書いてある。
<大久保書記長ゲッソリとやせ、元気なし、石田・伏木両副委員長も顔色悪く、疲れ隠せず>
 大橋問題への対応で、公明党の幹部は心身ともに擦り減らしていた。この状態では彼らにまともな議会運営など望むべくもなかった。

池田喚問に慌てた委員長
さらにこの日のメモから紹介しよう。
大久保 大橋が今日、原(健三郎)議長に要望書を届けたが、これがそのコピーだ。この要望書のどこが問題になるのか、教えてほしい。
平野議院に関係する内容は二点です。大橋さん自身、疑惑といわれていることをはらしたいから証人として出頭したいということ、また池田名誉会長を「政教分離」問題で証人として喚問してほしい、という点です。二点とも議長に関係のないことで、議長としては目を通すだけで何もしません。
大久保 もし証人喚問となれば、どういう手続きになるのか。
平野 証人喚問を決めるのは所管の委員会での議決が必要です。大橋さんは筋を間違えている。所管の委員長に出すべきです。しかし仮に、委員長に出されたとしても、委員長はいきなり委員会に諮るようなことはしませんよ。まず、理事会で協議します。理事会で合意して話が進んでいくんですよ。それに証言法の改正がそのままになっていますので、簡単に証人喚問といっても事実上できませんよ。
大久保 書記長として記者会見しようと思っているんだが。
平野 自党の党員でない人が出した要望書について、書記長として記者会見するのは、問題を大きくするだけですよ。無視しておけばよいと思います。新聞の記事を大きくするだけですよ。
――結局、私の助言で大久保さんは、いったんは会見をやめることにした。

知られきる大橋問題の真相
公明党としては、池田大作名誉会長の証人喚問だけは何とか避けたいと必死だった。一方の自民党にとって、これはチャンスだった。懸案の消費税法は、自民単独で成立させることは不可能だった。社会党や民社党が消費税に強硬に反対している以上、成立には公明党の協力は欠かせない。消費税国会を成功に導く鍵は、公明党が抱える大橋問題をいかにうまく処理するかにかかってきていたのである。
 私はこの日、大久保書記長に再度呼ぴ出されるが、そこで聞いた大橋問題の「真相」は、私の想像を超えるものだった。
大久保 さっきは大橋の要望書のことで記者会見しないことにしたが、大橋側が記者会見で私の政治献金のことを出したので、会見をすることにした。要望書のことを聞かれると思うので、どの程度のことを言っておけばよいだろうか。
平野 まず議長に持ち込む問題ではないこと、そして「政教分離問題」は解決済みだということですね。あんまり話をしないほうがよいと思いますよ。
大久保 今度の問題の根っこは、藤原(行正、池田批判を展開していた公明党の都議)のほうにあってね。つまらん、バカバカしいことが原因なんですよ。
平野 どういうことなんですか、原因は……。
大久保 藤原の次男が、「私は、戸田城聖(第二代創価学会会長)の生まれかわりだ。六代目の創価学会会長になる」と言っているらしい。そこで池田名誉会長の攻撃に大橋が使われているんだよ。
平野 それじゃあ、宗教上の争いが原因で、それを政治問題として処理しようとしているんですか。
大久保 大橋が国会議員だから、政治問題として……。
平野 一番悪いケースですよ。原因が宗教上の争いなのに、現職の議員の身分をいくらつっついても問題は解決しませんよ。だんだん泥沼化していって、党の運営や国会対策が冷静にできなくなったら大変なことになりますよ。

「学会も選挙態勢を取れない」
公明党と学会の裏のやり取りの情報などは、頻繁に連絡を取り合っていた権藤さんから、刻々と入ってきた。権藤さんはこんな内情も明かしていた。
「竹入先生に聞いたところ、学会がかなり無理を言って公明党に大橋問題を処理せよ、といってきたらしい。矢野委員長も腹ではやりたくなかったが、しかたなくやらされたようだ」
さらに、党内の混乱ぷりをこう語っていた。
「副書記長会議があったので、二見に、『このままでは、党のイメージを悪くするだけだから、臨時国会対策とか、税制問題への取り組み方を勉強して、国民に理解される党の態勢を固めよう」ということを提案させたが、『それどころではない……』ととり上げてくれなくて、二見が怒っていたよ」
(平野貞夫『公明党「汚れた裏面史」全真相』『現代』2004年5月号)

06/14
公明党、第60回中央委員会。

06/20
鷹書房、浅沼美知雄著『池田大作名誉会長への公開質問状』を発行。浅沼美知雄は右翼団体代表。

07/01
元・学会埼玉県幹部で本部職員だった押木二郎、池田問題対策事務局を開設。
所在地は当初、藤原行正が所有するマンション(東京都杉並区高円寺)だったが、91年に新宿区四谷へ移転した。



『そこには(株)アドムと称する会社がある。代表取締役は藤原グループの笛木伸一である。この会社は(株)改成企画の名で平成元年2月9日に設立され、その後間もなく現住所に移り、名称も(株)アドムとなったものだ。設立時の代表者は大須賀文雄。彼を含め、あとの取締役もみな、行正の息子の取り巻き連中だ。』
(『地涌』第31号)

07/04
自民党の小沢一郎、創価学会幹部と密談。社公から自公へ戻る方針決まる。



創価学会・公明党がどうなるかは、自民党の派閥や政局もからむ問題であった。そのことは公明党側も自民党側もよくわかっていた。6月30日に、権藤さんが小沢一郎官房副長官にこんなことを伝えて欲しいと言ってきた。 「大橋問題をこじれさせた後、学会内部でかなり動揺が出ている。矢野委員長は一時期、学会や党のゴタゴタを吹っ切るためにも、早期に解散に追い込んだほうが得策かと考えていたふしがあったが、学会も選挙態勢をとても取れたものではない。そこで、年内解散も同時選挙も避けたい」
 しかし、衆議院の委員会段階で税制改正法案を強行採決すれば、「解散」の可能性が高い。税制の抜本改正を自民党単独強行採決したと新聞は徹底的に批判する。社・共が勢いづき公明も社会党に必ず引っ張られるからだ。
――こう私が分析すると、権藤さんは7月4日に小沢さんをある学会幹部に引きあわせることを明かし、次のように頼んできた。
「わかった。小沢さんからそのことをよく相手に説明して、審議に参加するよう、よく納得させてほしい。特に小沢さんには、公明党を動かすために福祉問題で画期的なことを実施するといってほしい。それに学会はいま世間から冷たく見られているから、何か目立つことで評判を良くしようという動きがあり、『平和の問題』に関心が強い。だから防衛費を拡大させない、これをうんといってもらいたい」
 大橋問題は結局、本人から出された学会の運営などについての質問主意書に対し、政府が答弁書を出したことで一応の決着が付くことになる。
 最大の論点だった「代表役員でない池田大作名誉会長による学会の支配が宗教法人法違反にあたらないか」との問いに対し答弁書は、「責任役員と代表役員による事務の決定と総理(統一管理)に従って管理運営が行われる限り、同法違反に該当しない」との見解を示したのだ。
 これによって、大橋問題が巻き起こした波紋は、消費税法の審議に影響を及ぼす寸前で、かろうじて収まった。
 消費税に公明党を乗ってこさせるためには、ポイントが二つあった。一つは、老人医療の問題で、公明党が力を入れていた「ゴールドプラン」を自民党が採り入れて、翌年度の予算で4000億円増やしたこと。
 もう一つは、消費税法を成立させる条件として、国会周辺の右翼の街宣活動による騒音を防止する法律を改正し、対象地域を国会周辺だげから、政党本部にまで拡大したのである。これにより、それまで街宣活動の騒音に悩んできた信濃町の公明党、創価学会が大いに助かったのだ。
 こうして不十分なものながら消費税が導入されたのだ。あの法律を成立させていなかったら、その後の日本はやっていけなかったはずだ。消費税制度ができたのは、公明のこうした政策判断や国会対策、何より大橋問題の始末ができたことが大きかった。
(平野貞夫『公明党「汚れた裏面史」全真相』『現代』2004年5月号)

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学会の歴史(昭和63年) (1)

「庶民の王者」でしたっけ?そこまでなれば、「空港内の特別通関等の便宜供与」を受けて当然なんですね。
浅見総合青年部長(当時)「大橋はドブネズミ、ゴキブリのような者」。そんな感情的にならないで、お茶でも飲んで東北とか旅したらどうですか。

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1988(昭和63)年(1)

01/??
砂利船汚職、発覚。

01/??
【学会】SGI会長、インドの『国際理解のためのG・ラマチャンドラン賞』を受賞。

01/06
【学会】池田のアセアン諸国外遊を前に、小和田恒外務省官房長宛に文書を提出。(96年4月1日、衆・予算委員会で白川議員が外務省に質問)



英字のレターヘッド
『The Soka Gakkai 32 Shinano-machi,Shinjuku-ku,Tokyo,160,Japan, Tel:353-7111,Cable:Sokagakkai Tokyo,Terex:J33145SKG』
の下に、和文タイプで以下のようにある。

『1988年1月6日
外務省官房長
小和田恒殿
東京都新宿区信濃町32番地
創価学会(印)
事務総長原田稔(印)

拝啓新春の候、益々ご清祥のことと存じあげます。
さて、本年1月末より2月中旬にかけて、創価学会インタナショナル(SGI)会長・池田大作(創価学会名誉会長)一行が教育・文化交流のため、香港並びにアセアン3カ国(タイ・マレーシア・シンガポール)を約2週間にわたり、下記の日程で訪問する予定です。

何卒宜しくお願い申しあげます。

敬具


1. メンバー
(1)池田大作創価学会インタナショナル会長・創価学会名誉会長
(2)池田かね同夫人
(3)池田博正同子息
(4)原田稔創価学会副会長
(5)鈴木琢郎同
(6)
(中略)

各国訪問のおりには先発メンバーより大使館、領事館と適宜連絡をとらせて頂きます。
各国大使館、領事館におかれましては入国、出国の際の空港内の特別通関等の便宜供与を宜しくお願い致します。(以下略)』

01/18
大阪地検特捜部、砂利船汚職で田代富士男参議院議員を取り調べ。同議員、公明党を離党。

※事件発覚前日の緊急支部長会で「池田先生は、田代議員がもし信心から離れたら、手が後ろにまわるようなことになると、すでに人間革命の中で予言されていた。今回の事件はその予言が的中したのである」と指導がなされた。
※小説『人間革命』第10巻『嶮路』の章に、田代富士男がモデルの代田が反学会の旧蓮華寺住職に暴力をふるい逮捕・拘留されるという場面が描かれている。
「代田君、御書に照らせば、君は過去世に相当の大謗法を犯していたことになる。もし君が信心をしていなかったら、罪を着るような法の裁きを受けていたにちがいない。それがこの程度ですんだのは、転重軽受の典型として、この信心のおかげといわくてはならない。いつのまにか、これで君も宿命転換ができたのです。おめでとう」と山本伸一が言ったことになっている。

【学会】聖教新聞、コンピューターによる紙面制作(CTS)を開始。

01/26
【学会】名誉会長、第13回『SGIの日』記念提言。ヨーロッパ近代文明の功罪とアジア・太平洋の可能性。国連『平和と軍縮の10年』を人類的課題へ。『世界市民憲章』の作成を提案。

02/??
【学会】地区幹部が焼殺事件。



『不倫妻と愛人共謀殺人事件(昭和63年2月、千葉県大原町で、不倫妻と愛人が共謀して夫を殺害、灯油をかけて焼いた事件の犯人は学会地区幹部のK・Y。)』
(山崎正友『創価学会・公明党の犯罪白書』P44※原文では実名)

02/??
【学会】石垣島に八重山研修道場落成。

02/??
【学会】SGI会長、東南アジア指導。マレーシア・シンガポールを初訪問。

02/??
自民党浜田幸一議員、共産党を除く野党に商品券をバラまき、事件となる。
(公明党はいったん受け取り、問題が表面化してから返している。)

02/02
公明党の池田克也議員、譲渡されたリクルートコスモス株5000株売却で約1000万円の利益をあげていたことを公表。

02/03
【学会】SGI会長、タイ王国のプーミポン国王をバンコクのチトラダ離宮に表敬訪問。

02/04
【学会】プーミポン国王とSGI会長の会談を聖教新聞で報道。

04/??
【学会】世田谷に東京池田記念講堂落成。

04/??
【学会】三色旗を制定。青は平和、黄は栄光、垢は勝利を表わす。

04/13
【学会】聖教新聞に名誉会長のスピーチを掲載。
『近年の悪侶等や山崎一派らのやり方が、まさに〃クモの巣〃を張って、仏子をアミにかけ、食いものにし、「正宗」と「学会」をからめとろうとの卑劣な陰謀であった』

04/26
宮本邸電話盗聴事件裁判の控訴審判決。学会の組織的犯行を再度認定。学会側・松井一彦弁護士、最高裁であらそうとの談話を発表。
(2週間以内に被告全員、最高裁へ上告。)

【学会】秋谷会長、内部通達文書『本日の判決について』を流す。
内容は
(1)事件について、北條前会長が関与したというのは「デッチ上げ」であり、北條が生きていれば、北條関与を認定するような「判断は出なかったのに……残念」、
(2)恐喝罪で告訴されたのを知った山崎が「自分の犯罪をうやむやにしよう」と、盗聴事件を暴露した、だから裁判は山崎と共産党の「慣れ合い」だ、
(3)「さまざまな魔が競うのはもとより覚悟の上」「すべてを変毒為薬しながら、粘り強く障魔を打ち破って前進していこう」、
(4)「正義は必ず勝つ」。

04/27
【学会】秋谷会長、聖教新聞に談話を発表。「この事件は……山崎正友が学生部員らを使って独断で行なったものであり、故北條会長は一切関与していない」「山崎が、学会を崩壊させようと、なりふりかまわず謀略を企てたことに今回の事件の本質がある」とする。

05/10
『文藝春秋』6月号、大橋敏雄・公明党衆院議員の『池田大作への宣戦布告』を掲載。 『(妨害を手助けした)田中角栄氏が名誉会長に初めて会ったあと、池田さんの印象はと聞かれて、「あれは法華経を唱えるヒトラーだな」と答えたそうです。言い得て妙だと、私は思いました』とする。



「文襲春秋」1988年6月号に、当時、公明党衆院議員だった大橋敏雄が「池田私物化批判」の手記を掲載すると、さっそく、学会本部から創価学園に通達があり、その通達文を当時の小林道夫校長(現・創価学園理事長)が朝の全校集会で読み上げている。内容は「大恩ある池田先生と創価学会を批判する不知恩の徒であり、我欲と名利に溺れた信心の狂いであり、魔の所為であると断ずる」というものだった。
 で、たまたま、その直後の『週刊ポスト』1988年6月10日号で、池田大作の〃御真影〃が教室に掲げられている実態を写真入りですっぱ抜いた。すると、ただちに職員会議が招集され、当時の杉本芳雄副校長が
 「池田先生の来校を願って教職員が題目を唱えることにどこか悪いのか。生徒に特撮隊を組織させて創立者を迎えるのは美しい姿ではないか。教室に創立者の写真と創立者コーナー、そして創立者の動きを伝える聖教新聞が提示されているのも当然でしょう。生徒の真心から来るもので、それを踏みにじるマスコミはけしからん」と発言。
 小林校長(当時)も激昂を抑えきれず、「学園においては創立者以外どんな人物の介入も絶対に許されない。法的、倫理的にも何の落ち度もない。魔に紛動されてはならない。敵の思うつぽだ」とまくし立て、その場で教員には週刊誌の記事の誤り(※何が「誤り」であるのかはよくわからないが、おそらく、池田を批判していることそのものが「誤り」なのだろう)を、生徒らに対して訂正するよう指示を出している。
(古川利明『カルトとしての創価学会=池田大作』P41?42)



政教分離の嘘を暴いた大橋論文
中曽根内閣の後を受け、昭和62年の秋に成立した竹下内閣の最大の懸案は、もちろん消費税法の成立だった。だが竹下さんは63年の通常国会にはこの問題を持ち出さず、63年の秋に持ち越した。私はこのとき、衆議院委員部の副部長だった。全体の運営の事務を取り仕切るポジションだ。
 63年の常会が終わり、夏からはいよいよ消費税国会だというときだった。公明党を揺るがす大騒動が起こった。いわゆる「大橋問題」である。
 公明党所属の衆議院議員・大橋敏雄氏が、昭和63年5月10日発売の「文藝春秋」誌上で、池田大作・創価学会名誉会長を批判する論文を発表した。中身は、学会を私物化し、相変わらず政教分離を弁えない池田氏を批判したものだった。公明党批判ではなく、あくまで池田批判だったが、この論文は学会のみならず公明党にも大きな動揺をもたらした。
 昭和44年、藤原弘達氏の「創価学会を斬る」に対して、学会・公明党が出版を妨害する事件が起こった。この事件をきっかけに、学会・公明党は「政教分離」を宣言したはずだった。大橋氏の告発は、その宣言が口先だけのものだったことを暴露するものだった。
 また大橋氏は論文の発表だけでは追及の旗を降ろさなかった。衆院議長への要望書や政府への質問主意書を提出し、池田大作を引きずり降ろすための具体的な行動にも出た。
(平野貞夫『公明党「汚れた裏面史」全真相』『現代』2004年5月号)

05/15
【学会】九州広布35周年記念幹部会。
秋谷会長、「大橋は我欲と名聞名利の退転者、反逆者。夏に出る蚊が、春に迷い出た」と述べる。
浅見総合青年部長、「大橋はドブネズミ、ゴキブリのような者」と述べる。

05/16
東京スポーツ、66回にわたり『池田大作を撃つ』を連載。


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学会の歴史(昭和62年) (2)

はるな墓苑事業も順調で、ますます儲けます。

『≪公明会の基本的あり方≫
我々は公明党創立者である池田先生のもと弟子の道を再確認し、ここに公明会を結成する。我々は創価学会を守り、池田先生のもと、。。。」

確かに、学会と池田さんを守るために、証人喚問等に対して必死の行動はするが、「平和理念」とやらを貫く行動には必死さがないですね。こんな行動から、彼等の本音が読めます。まあ、そんなことは学会員にとってどうでもいいんでしょうけど。


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1987(昭和62)年(2)

11/18
【学会】聖教新聞社から名誉会長のスピーチ・著作集『人間と仏法を語る(1)』を刊行。(以下、続刊)

12/03
公明党第25回党大会。

一年間の動き
統一地方選での前進――市議数では第二党に躍進
87年4月の第11回統一地方選挙において、公明党は町村議選を除くすべての選挙で議席増をはたし、「党勢を結党以来最高の議席数に押し上げる大勝利」(第25回公明党全国大会「党務報告」『公明新聞』12月7日付)となった。
 公明党は、道府県議会議員選挙では、198人(推薦2をふくむ)をたてて、当選188(同2)で3議席増、政令市議会議員選挙では、130人をたてて128人当選の6議席増という成績をおさめた。
 後半戦の市議選では1202人のうち1200人が当選して51議席増となり、市議会議員数で社会党を抜き、自民党に次ぐ第二党に躍進した。区議選では、207人全員が当選し、20議席を増加させた。町村議選では613人(推薦22をふくむ)を立てて、当選が610(同30)となり、公認で前回より29議席の減であった。この結果、「国会、地方議会の議員総数が結党以来最高の3718人の勢力」(同前)となった。

政権連合へ積極的対応
公明党は、衆参同日選での自民党大勝以降「差し当たり『連合』問題の生ずる状況にない」として、「党の主体性強化」(87年活動方針)にはげんできたが、87年に入ってからは、秋の「連合」結成という労働界での統一の動きに呼応することをめざして、再び政権連合と野党結集にむけての動きを強めてきた。
 87年春には、売上税反対運動の盛り上がりを背景に、共産党を除く4野党間の共闘を強化し、6月には社会党との間の政権協議を本格的に再開させ、民社党とも合同議員研修会を開催し、11月の首相交代に際しては野党統一候補の擁立を社会・民社・社民連の各党に働きかけた。これは結局、民社党にことわられたものの、国会での首班指名選挙では独自候補を立てずに、社民連とともに社会党の土井委員長に投票した。
 また、89年の参院選にむけても、比例代表区選挙での野党統一名簿構想を提唱し、「構想に賛同してもらえるなら、公明党の既得議席を譲ってもいいから名簿づくりを実現したい」(12月11日、「二一世紀クラブ」等主催シンポジウム「野党政治戦線の結集を問う」での大久保書記長の発言)と強い意欲を示している。
(法政大学大原社会問題研究所:編著『日本労働年鑑第58集1988年版』
http://oohara.mt.tama.hosei.ac.jp/rn/58/rn1988-396.html) ◇

矢野委員長のあいさつ
大会の冒頭、あいさつに立った矢野委員長は、この大会を「89年政治決戦をめざし、その足元を固め、かつ、広範な国民各界への力強い展開を図るため、その正念場ともいうべき2年目のスタートをきる大会」と位置づけ、自民党政治独走の責任は野党にもあると指摘したうえで、「政権交代がいつでも可能な『二大政権勢力』時代を、ぜひつくりあげなければなりません」と、「野党陣営における脱皮、前進」を強調した。そして、第一に国会闘争の協力強化、第二に連合政権への展望の明確化、第三に保革伯仲の再現をよびかけ、「具体的手順」として、
(1)八九年の参院比例区における「野党統一名簿」づくり、
(2)それを前提とした参院選選挙区での「無所属共同推薦候補」の擁立、
(3)衆院選での選挙協力
を訴えた。同時に、「連合の諸条件を考え、整理するため」に「公明党にもの申す会という形で対話の場を緩やかな形でつくること」「すなわち『公明党と労組、文化人で政策を懇談する会(仮称)』」の結成を提唱した。
 また、矢野委員長はこのなかで、一方では「公明・民社・社民連がついていけるおおらかな配慮を重んじていただきたい」と社会党にたいして注文を出し、他方では「これまで以上に公明・民社・中道中軸の信頼関係を深めてまいりたい」と、民社党への配慮を示した。
(法政大学大原社会問題研究所:編著『日本労働年鑑第58集1988年版』
http://oohara.mt.tama.hosei.ac.jp/rn/58/rn1988-400.html)

(暮)
【学会】「はるな平和墓苑」完成。



『87年暮れに完成した創価学会第三号の「はるな平和墓苑」(群馬県渋川市=所有名・財団法人平和墓苑)は、地元住民の強い反対を押し切っての建設であった。
 総面積は46ヘクタール、墓数2万4800基。地元住民は、「人口4万人の渋川市を墓場とするのか」と、同市のほぼ全戸(1万5000世帯)に、十数回にわたって建設反対のビラを配布した。有権者3万3000人の6割に当たる1万9000人の反対署名を集めたが、県・市への重ねての陳情も空しく、三井建設によって着工され、創価学会に引き渡された。同墓苑の墓の価格も永代管理料込みで63万円。完売した。』
(『創価学会財務部の内幕』P101)

(?)
公明党議員および議員OBで組織する『公明会』の設立を指示する内部文書『「公明会」について』が該当者に配布される。
以下その抜粋。
『≪公明会の基本的あり方≫
我々は公明党創立者である池田先生のもと弟子の道を再確認し、ここに公明会を結成する。我々は創価学会を守り、池田先生のもと、広宣流布を目指し決意も新たに前進するため、下記の指針に基づいて戦うことにする。

1.公明会の会員基本精神について
公明会会員は立党の基本精神を再確認しよう。
(1)生涯永久に団結第一で派閥を作らず、派閥が出来れば直ちに党を解散する。
(2)生涯民衆と直結し民衆の側に立つ政治家として戦い、「大衆とともに語り、大衆とともに戦い、大衆のために戦い、大衆の中にはいりきって、大衆の中に死んでいく。」を活動の原点として戦う。』
…等々。

(?)
玉井禮一郎(元・創価学会員)、万年救護の御本尊の拓本御本尊(始拓大本尊)なるものを以て「妙法蓮華宗」の開祖(日禮を自称)となり寺院を開設。90年、台湾の学会員と「法論」し、その内容を小冊子『妙法蓮華宗VS日蓮正宗』として出版する。
※玉井氏は石原莞爾の著作『最終戦争論』に影響を受けているようだ。


(ここまで)---------------------------------------------

学会の歴史(昭和62年) (1)

池田さん「(ノリエガ将軍は)指導者はあまりにも偉大であり、大きい」
学会、元手70億円の財テク開始。学会員の財務で財テクです。
その儲け分は、円天「功徳」なるもので還元し、純利益はそのまま本部職員に配分されたりします。

(ここから)---------------------------------------------

1987(昭和62)年(1)

01/??
池田の上から二番目の兄・池田増雄、死去。



『密嚴院の喜田啓照住職によると、
「増雄さんが死に、まったくおつきあいがなくなっていたのですが、このところ、増雄さんの息子の一雄さん盆暮れにはお菓子などをもって挨拶にきてくださるようになりました」
一雄は学会員である。が、子之吉の墓を一般世間並みに維持していたのだった。』
(『宝石』96年4月号)

01/26
【学会】名誉会長、第12回『SGIの日』記念提言。アメリカ民主主義の普遍性。『国家主権』から『人類主権』への転換。〃人類の議会〃国連を支援。平和憲法の人類史的意義と世界化。

02/03
【学会】創大ロス分校の開所式。

02/??
【学会】名誉会長、ドミニカを初訪問。「今日の世界で最も傑出した人物」に与えられる『クリストバル・コロン大十字勲章』を受章。

02/??
【学会】名誉会長、パナマ政府(ノリエガ将軍)より特別の功績に対し授与される同国最高位の『バスコ・ヌニエス・デ・バルボア勲章』を受章。

02/20
【学会】名誉会長がパナマで「貴国は国は小さいかも知れないが、指導者はあまりにも偉大であり、大きい」と語ったと聖教新聞で報道。

03/12
【学会】聖教新聞社、新館の開館式。

04/??
【学会】元手70億円で国際証券と特定金銭信託(特金)契約を結び、その口座を開く。(91年7/31国際証券・松谷社長記者会見)

04/??
【宗門】、虫払い法要。
猊下、
「末法万年の衆生救済の仏法においては、僧俗を問わず、この根本の一器より一器への相伝に対する信解が確立するところ、即身成仏の大法とその利益は縦横無尽(じゅうおうむじん)に開花し、顕現するのであります。」
「信解(しんげ)抜群にして宗祖・二祖の信心の血脈を疑わず、勇猛精進するところ、僧にあれ、俗にあれ、僧から憎へ、また俗から俗へ、さらに広くその信心の血脈を伝えつつ展転して、衆生を利益することが下種仏法の相であります。その一大実証は、近年、正法の日本乃至(ないし)世界広布の礎(いしずえ)を開かれた、創価学会における初代、二代、三代等の会長の方々における信心の血脈の伝承であります。」
「この信心の血脈は、古来よりの法華講の信心の歴史においても、また多く見ることができます。」
「要するに、日蓮日興の唯授一人の相伝血脈は、その信心において万人に通ずるのであり、かかる信心の血脈が正法の僧俗一切の行学の根底であります。
 ゆえに、大聖人より日興上人への血脈が、貫首(かんず)一人しか解(わか)らぬ独断的、偏見的な仏法などというのは血脈の真義を解せぬ者の戯言(たわごと)であり、信心の一念に法水が流れるところ、有智、無智を問わず、万人のために即身成仏の功徳として開かれているのであります。」
と、説法。

04/01
【学会】『SGIグラフ4月号』発行。パナマにできた池田展望台(ミラドール・イケダ)を報道。
※学会、白糸研修所内に「ノリエガ庭園」を設置するが、ノリエガ失脚後、銘板のある石碑を黒い木箱で隠蔽した。

05/16
【学会】戸田記念墓地公園内に、世界風俗館が開館。

05/25
【学会】モスクワで「核兵器 現代世界の脅威」展を開催。

07/14
宮本邸電話盗聴事件裁判の控訴審が結審。

08/04
先行減税をめぐり、向島の料亭で、自民・公明が話し合い。



公明党への説得工作
勢いに乗った中曽根さんは、61年に総裁任期を1年延長する。さらに翌年には総選挙の公約を反故にして、売上税構想をぷち上げた。
 当然国会は大混乱に陥り、売上税は昭和62年の4月に廃案になる。任期わずかしかない中曽根さんは、自らの手による間接税の導入を諦めるしかなかった。
 ただし税制改革は取り組まなければならない課題だった。そこで税制改革協議会を作り、議論は継続されることになったのだが、もはや中曽根さんの影響力は薄れ、実務を取り仕切っていたのは幹事長の竹下登さんだった。私はここでも公明党を説得するために秘密裏に動いていた。
 税制改革協議会は間接税を導入する前には先行減税が必要だという認識で一致していた。問題はいくら減税するかという点だった。
 62年の8月4日、向島の料亭で、公明党の権藤労働局長、二見伸明副書記長と私で話し合いの場を設けた。この日のメモにはこう書いている。
<小沢一郎氏から、十分期待に沿える減税額(国税2兆円)の上積みを幹事長から言わせるので、7日までに決着させてほしい>
 小沢さんは幹事長の竹下さんに話をつげ、2兆円の減税額を確保したのだった。この案に対して公明党も乗った。メモはこう続いている。
<国税2兆円の減税が実現できるなら、公明は8月17日に幹事長・書記長会談で決着させ、18日から審議入り出来るよう社・民に働きかける。その際、出口も見通しをつける>
 こういう作業の結果、この夏、先行減税法が無事可決した。先行減税はいわば消費税の前哨戦で、公明党がこれを呑まなかったら、消費税法は成立していなかっただろう。
(平野貞夫『公明党「汚れた裏面史」全真相』『現代』2004年5月号)

08/25
【学会】戸田記念墓地公園で厚田青年塾の開所式。

(ここまで)---------------------------------------------

学会の歴史(昭和61年) (2)

「私を守れ!」と部下達に言う姿は、今では恒常化していますね。
どこの「偉人」が、そんな情けない言葉を吐くでしょう。

昭和61年終了。

(ここから)---------------------------------------------

1986(昭和61)年(2)

10/??
【学会】SGI会長、中国政府より『平和友好杯』を受賞。

10/17
【学会】聖教新聞、『寸鉄』
『厚生省が「健康マップ」発表、〃宗派別に不幸の統計調査を〃との恩師の言を ! !と』

10/29
【学会】本部職員の小田仁 伯、反池田の創価学園卒業生を、池田大作とゲリラ的に面会させる。



昭和61年10月29日、その日は雲ひとつない快晴であった。「このような日には、神宮外苑の木漏れ日の中を散策すると、気分が最高だろうな」などと思いつつ、筆者は、N青年と共に創価文化会館の案内所の受付に着いた。
 受付には、顔見知りの本部の警備職員達が、来訪者2?3名の応対をしていた。
 筆者は太田昭宏青年部長への面会を申し入れた。用件は、太田氏と面識のあるN青年を伴(ともな)っての面談であったが、本当の目的は、この案内所で池田大作を捕まえ、N青年と池田を引き合わす事にあった。
 太田青年部長は、当時、問題視されていたN青年との面会を、快く了承し、しばらくの間、案内所で待つよう返答してきた。
 計画どおりである。これで池田大作と遭遇する第一関門は突破できたことになる。
 それにしても、太田氏の人の良さ(悪く言えば脇の甘さ)を、不憫(ふびん)に思わずにはおれなかった。
 というのは、太田氏は、この面会の数ヶ月前、N青年の件で池田大作の逆鱗(げきりん)に触れたばかりであり、そのため、学会首脳達も太田氏に批判を浴びせていたのである。
 太田氏が池田を怒らせてしまった理由であるが、N青年の父親は元都議会の実力者、母親は幾たびも池田大作のセクハラに耐えてきた経緯を持つ、いわば池田大作のウラのウラまで熟知した「池田打倒」の急先鋒であった。あろうことか太田青年部長は、このN青年の人物評を、本部組織センターにおいて秋谷(現会長)や青年部幹部のいる前で、大声で言ってしまったのである。「小多仁さん、N君と会ってきましたよ!なかなかよい青年ですね!皆が心配するような人物ではないですよ」
 太田氏にしてみれば、まだ若いN青年を色メガネで見るのは好ましくないとの思いで、組織センター幹部に言いたかったのであろう。
 これが太田氏の創価学会幹部としての甘さなのである。その結果として、池田大作の怒りを買い、そのあとすぐに聖教新聞社地下の閑職に追われ、また落選確実な東京8区(文京・中央・台東)の衆議院候補になり、悲哀を味わうことになる。
 今、太田昭宏氏は公明党の次代を担(にな)う人材としてクローズアップされているが、上記のような大らかな人柄のため、首脳の中には将来を危倶(きぐ)する声もある。
 筆者は、太田氏の常識的な物事の捉(とら)え方や優しい側面が、変節を繰り返す公明党のスタンスとは、似つかわしくないと思っている。むしろ、太田氏は将来、公明党解党へのリーダーシップを発揮するかもしれない、と逆説的に期待したい。
 ともあれ、この日、N君を学会本部に連れて行った最大の理由は、池田大作と直接会って、率直に意見を述べ、懇談する機会を造ることにあった。
 「池田大作と、どうしても会いたい」とのN君の強い希望があり、御両親の長年の願望でもあったからである。
 そもそも「池田大作と会う」ということは、不可能に近い、といわれていた。
 小心者の池田大作は〃おれを守れ〃とばかり、過剰なまでの誓備陣を配置する。ゆえに、その厳重な池田大作の包囲網をかいくぐって、面会したり拘束したりする事は、はなはだ難しいのである。
 しかし、私達は、この日のために着々と準備を重ね、池田の行動範囲を絞り込み、日程を把握(はあく)することに成功したのである。
 案内所の隅で、私達は池田大作を、今や遅しと待っていた。
 通常、池田は黒い最高級車に乗ったまま、案内所の脇を猛スピードで通過して、建物奥の本部正面玄関に横付けする。
 この時がチャンスであった。その機を逃さず、N君が池田の車を追って、その正面玄関で捕まえる、という計画であった。
 はたして池田大作は、案内所前で乗用車から降り、来客を伴って本部の中へゆっくりと入ってきた。計面どおりである。
 池田は、来客に何かの説明でもするように、立ち止まって話をしている。
 池田は、慇懃(いんぎん)にして尊大な態度で来客と接しており、すこぶるご機嫌の様子であった。
 筆者は、頃あいを見て「今ですよ!」とN君の背中を押した。
 N君は「センセー、Nです!センセー、Nです!」と声を張り上げ、「センセー!お話があります」と、駆け出しながら池田に迫っていった。
 この一瞬の出来事に、池田の警護隊をはじめ第一庶務の職員達は、なす術もなく見守るばかりであった。まるで時間が止まったかのようである。
 池田大作はN君の行動を見て、身構えながらも余裕の態度で「おう!君か!」(※池田はN君とは創価学園の校友会で会っている)と言いながらも、後ずさりし、突然、脱兎(だっと)のように逃げ出したのである。驚いたことに池田は、大事な来客の存在も忘れ、ただ、ひたすらN君に背を向け遁走(とんそう)した。その光景は、大指導者を装う威厳など全くなく、むしろ滑稽(こっけい)な喜劇役者のように写った。
 池田は、よほど気が動転したのか、いつも利用している本部正面玄関と文化会館来客用玄関との区別ができず、文化会館に間違って飛びこみ、あわてて、そこから飛び出
 してきた。そのため、池田を追ってきたN君との距離がなくなった。 N君は「センセー!」「センセー!」と追いすがる。その蒋、池田は「わかってる」「わかってる」「あとで、あとでな!」というセリフを発しながら、奥の正面玄関に消えていってしまった。
 筆者は、この歴史的(?)な七来事の一事始終を冷静に観察していた。
 一方、この場に居合わせた他の人達は、どのような様子であったか。
 まず、池田に置き去りにされた来賓の、ひきつった顔が印象的であった(池田が車を降りて案内するぐらいの大事な人物と思われる)。また、池田を警護するため、日常的に訓練を重ねてきた池田警護隊の、茫然自失の態。案内所職員の金縛り状態――。どれ一つを取っても、池田大作にとっては、腹わたが煮え繰り返る思いであっただろう。
 私達の本当の期待は、N君の熱情を池田が受け止め、懇談が実現する、というところにあった。これは池田が逃げ出したため、失敗に終わったが、池田大作の真の姿を知ることにより、このような臆病な男を「稀有(けう)の指導者」と錯覚していたことが、私もN君も、よく分かったのである。
 この日、本部全体会議が行なわれたが、出席を予定していた池田大作は、動揺のあまり、職員の前に出ることさえできず、会議を欠席してしまった。
(以下略)
(小田仁 伯『〃イケダ体験〃雑感』慧妙2003年12月1日号)

12/04
公明党第24回党大会。

矢野絢也が委員長、大久保直彦が書記長になる。
キャッチフレーズは「フレッシュ・オープン・エキサイティング」



竹入委員長あいさつ 大会冒頭にあいさつした竹入委員長は、政局の行方を展望しながら、
(1)ダブル選挙は公明党のウィーク・ポイントではなくなった、
(2)307議席の自民党が自壊する可能性は薄く、政局の流動化はつぎの総選挙を待たざるを得ない、
(3)当面主体的力量の増大に重点を置かざるを得ない、
との認識を示した。
 そして、党勢が最高水準にあるこの機会に後進に道を譲って党内の活性化と世代交代を推進する決意を表明した。また、後任の委員長としては、矢野書記長が最適任者と確信するとし、同書記長を中心とした新執行部選出への協力を要請した。

矢野新委員長の就任あいさつ
新役員を代表してあいさつに立った矢野新委員長は、「全身全霊で職を全うしたい。力のかぎり党の最前線で戦い、国民のなかに飛び込む」との決意を表明し、新基本方針を「フレッシュ・オープン・エキサイティング」な「フレッシュ公明党」とすることを明示。
(1)談論風発の党風をつくる、
(2)党の政策・路線、意思決定の経過を国民にオープンにする、
などを強調するとともに、連合問題については、
(1)戦略次元で連合問題を検討することは政党の責任、
(2)当面の戦術的なとりくみは、自民党の単独支配を打破することにある、
(3)したがって、自民党の動静に関心を持ち、「スキがあればスキを撃ち、虚があれば撃ち、変に臨み、乱に応じる」
との考えを明らかにした。また、労働戦線統一の問題についても、「来年11月に予定されている労働界の結集、とく に全民労協の動きには、労働再編成への大きなうねりがあり、政界にも大きなインパクトを与えることが必至」との見通しを示した。

役員
第24回全国大会で選出・承認された本部役員および大会終了後開かれた中央執行委員会で決定した副書記長、各局長の氏名はつぎのとおり。

▽中央執行委員長・矢野絢也(新)、▽中央執行副委員長・石田幸四郎(筆頭、新)、浅井美幸、多田省吾、伏木和雄(新)、
▽書記長・大久保直彦(新)、▽副書記長・矢追秀彦(筆頭、新)、塩出啓典(新)、二見伸明(新)、池田克也(新)、神崎武也(新)、
▽総務局長・笠間肇、組織局長・伏木和雄(兼)、
▽議会局長・坂井弘一(新)、▽宣伝局長・田端正広(新)、▽広報局長・矢追秀彦(兼)、▽機関紙局長・土師進、▽青年局長・木内良明(新)、▽婦人局長・刈田貞子(新)、▽国際局長・神崎武法(新)、▽労働局長・権藤恒夫(新)、▽文化局長・二見伸明、▽教育局長・日笠勝之(新)、▽中小企業局長・森木晃司(新)、▽農林水産局長・武田一夫(新)、▽国民生活局長・渡部通子(新)、▽財務委員長・石田幸四郎(兼)、▽組織対策委員長・三木忠雄、▽国民運動本部長・草野威(新)、▽公害対策本部長・遠藤和良(新)、▽選対事務局長・小原敏男(新)、
▽国会対策委員長・市川雄一(新)、▽政策審議会長・坂口力(新)、▽選挙対策委員長・長田武士(新)。

<中央統制委員会>
▽委員長・鈴切康雄(新)、▽副委員長・貝沼次郎(新)、▽委員・有島重武(新)、中野鉄造(新)、吉浦忠治(新)。
<会計監査委員会>
▽委員・中野明(新)、新井彬之(新)、馬場富(新)。
<最高顧問>▽竹入義勝。
(法政大学大原社会問題研究所:編著『日本労働年鑑第57集1987年版』
http://oohara.mt.tama.hosei.ac.jp/rn/57/rn1987-437.html)

12/14
【学会】パナマのノリエガ将軍の「私は名誉会長を人生における哲学上の師として尊敬している」との言葉を聖教新聞に掲載。

(ここまで)---------------------------------------------
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