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1988(昭和63)年(2)
05/22
【学会】本部幹部会で退転者名簿を発表。創価高校校長の小林道夫、学会副会長を拝命。
05/26
【学会】創価高校の小林道夫校長、教職員に
「学園としては待ちに待った先生のご来校であります。いちばん心配しておりました天気もどうやら晴れ上がってまいりまして、晴天でよかった。
先生は非常にお忙しい中を、時間をかきわけるようにして学園へお出でくださる。特に高校一年生は、学園に入ってきたほとんどの理由が、先生との出会いにあります。その最良の日を今日迎える。彼らにとって生涯忘れられない日となる……(教職員は)休み時間、昼休みに、もう一度、学校中の掃除のチェックを願います。先生を気持ちよくお迎えしようという真心は、形に現れなければ真心とはいえない」等と述べる。
(『現代』1990年4月号「池田創価大学・学園「池田洗脳教育」50時間テープ」)
◇
『また、内部関係者によると、七月の栄光祭が近づくと、小林は次のような発言を全校集会などで行っていたという。
「創立者と生涯変わらぬ師弟の誓いを立てるのが栄光祭です。他の学校では絶対ありえない、学園のみの名誉ある儀式なのです。創立者のご期待に応える不退転の決意が必要であります。しかし、今年は諸般の事情により、先生はお見えにならないかもしれない。創立者に出席していただくことが、とりもなおさず栄光祭の成功を意味する。諸君の一念、師匠への熱き思いが試されるのです。祈って祈って創立者池田先生をお呼びしようではありませんか」』
(古川利明『カルトとしての創価学会=池田大作』P37)
05/27
週刊ポスト6月7日号発売。『巨大教団の内幕追撃』を掲載。解任された埼玉県幹部3人と西村埼玉県長の対論がある。
06/??
【学会】SGI会長、第3回国連軍縮特別総会を記念した『国連栄誉表彰』を授与される。
06/01
【学会】名誉会長、第3回『国連軍縮特別総会』へ記念提言。『新軍縮大憲章』の採択を提案。その具体的な柱として、討議と検証機能をもつ『国連軍縮機構』の創設。各国に平和省の設置。
06/06
公明党、大橋敏雄議員を、女性問題などを理由に党から除名。
◇
大橋問題に対する公明党の対応は、あまりに稚拙だった。6月6日、公明党は、告発の内容とは無関係な、「金銭トラプル」や「女性スキャンダル」を理由に大橋議員を除名する。この対応にも批判が集中した。
6月14日には、公明会館で開催された第60回中央委員会で、挨拶に立った矢野絢也委員長が、大橋問題について掘り下げた討議を要請した。さらに大久保直彦書記長は、政教分離の路線をさらに進めていく決意を表明した。
それから1週間後の6月21日、私は大久保書記長から議員会館の部屋に呼ばれ、大橋問題への対応を相談された。大久保書記長の部屋には、石田幸四郎副委員長、伏木和雄副委員長の顔もあった。この日のメモにはこう書いてある。
<大久保書記長ゲッソリとやせ、元気なし、石田・伏木両副委員長も顔色悪く、疲れ隠せず>
大橋問題への対応で、公明党の幹部は心身ともに擦り減らしていた。この状態では彼らにまともな議会運営など望むべくもなかった。
池田喚問に慌てた委員長
さらにこの日のメモから紹介しよう。
大久保 大橋が今日、原(健三郎)議長に要望書を届けたが、これがそのコピーだ。この要望書のどこが問題になるのか、教えてほしい。
平野議院に関係する内容は二点です。大橋さん自身、疑惑といわれていることをはらしたいから証人として出頭したいということ、また池田名誉会長を「政教分離」問題で証人として喚問してほしい、という点です。二点とも議長に関係のないことで、議長としては目を通すだけで何もしません。
大久保 もし証人喚問となれば、どういう手続きになるのか。
平野 証人喚問を決めるのは所管の委員会での議決が必要です。大橋さんは筋を間違えている。所管の委員長に出すべきです。しかし仮に、委員長に出されたとしても、委員長はいきなり委員会に諮るようなことはしませんよ。まず、理事会で協議します。理事会で合意して話が進んでいくんですよ。それに証言法の改正がそのままになっていますので、簡単に証人喚問といっても事実上できませんよ。
大久保 書記長として記者会見しようと思っているんだが。
平野 自党の党員でない人が出した要望書について、書記長として記者会見するのは、問題を大きくするだけですよ。無視しておけばよいと思います。新聞の記事を大きくするだけですよ。
――結局、私の助言で大久保さんは、いったんは会見をやめることにした。
知られきる大橋問題の真相
公明党としては、池田大作名誉会長の証人喚問だけは何とか避けたいと必死だった。一方の自民党にとって、これはチャンスだった。懸案の消費税法は、自民単独で成立させることは不可能だった。社会党や民社党が消費税に強硬に反対している以上、成立には公明党の協力は欠かせない。消費税国会を成功に導く鍵は、公明党が抱える大橋問題をいかにうまく処理するかにかかってきていたのである。
私はこの日、大久保書記長に再度呼ぴ出されるが、そこで聞いた大橋問題の「真相」は、私の想像を超えるものだった。
大久保 さっきは大橋の要望書のことで記者会見しないことにしたが、大橋側が記者会見で私の政治献金のことを出したので、会見をすることにした。要望書のことを聞かれると思うので、どの程度のことを言っておけばよいだろうか。
平野 まず議長に持ち込む問題ではないこと、そして「政教分離問題」は解決済みだということですね。あんまり話をしないほうがよいと思いますよ。
大久保 今度の問題の根っこは、藤原(行正、池田批判を展開していた公明党の都議)のほうにあってね。つまらん、バカバカしいことが原因なんですよ。
平野 どういうことなんですか、原因は……。
大久保 藤原の次男が、「私は、戸田城聖(第二代創価学会会長)の生まれかわりだ。六代目の創価学会会長になる」と言っているらしい。そこで池田名誉会長の攻撃に大橋が使われているんだよ。
平野 それじゃあ、宗教上の争いが原因で、それを政治問題として処理しようとしているんですか。
大久保 大橋が国会議員だから、政治問題として……。
平野 一番悪いケースですよ。原因が宗教上の争いなのに、現職の議員の身分をいくらつっついても問題は解決しませんよ。だんだん泥沼化していって、党の運営や国会対策が冷静にできなくなったら大変なことになりますよ。
「学会も選挙態勢を取れない」
公明党と学会の裏のやり取りの情報などは、頻繁に連絡を取り合っていた権藤さんから、刻々と入ってきた。権藤さんはこんな内情も明かしていた。
「竹入先生に聞いたところ、学会がかなり無理を言って公明党に大橋問題を処理せよ、といってきたらしい。矢野委員長も腹ではやりたくなかったが、しかたなくやらされたようだ」
さらに、党内の混乱ぷりをこう語っていた。
「副書記長会議があったので、二見に、『このままでは、党のイメージを悪くするだけだから、臨時国会対策とか、税制問題への取り組み方を勉強して、国民に理解される党の態勢を固めよう」ということを提案させたが、『それどころではない……』ととり上げてくれなくて、二見が怒っていたよ」
(平野貞夫『公明党「汚れた裏面史」全真相』『現代』2004年5月号)
06/14
公明党、第60回中央委員会。
06/20
鷹書房、浅沼美知雄著『池田大作名誉会長への公開質問状』を発行。浅沼美知雄は右翼団体代表。
07/01
元・学会埼玉県幹部で本部職員だった押木二郎、池田問題対策事務局を開設。
所在地は当初、藤原行正が所有するマンション(東京都杉並区高円寺)だったが、91年に新宿区四谷へ移転した。
◇
『そこには(株)アドムと称する会社がある。代表取締役は藤原グループの笛木伸一である。この会社は(株)改成企画の名で平成元年2月9日に設立され、その後間もなく現住所に移り、名称も(株)アドムとなったものだ。設立時の代表者は大須賀文雄。彼を含め、あとの取締役もみな、行正の息子の取り巻き連中だ。』
(『地涌』第31号)
07/04
自民党の小沢一郎、創価学会幹部と密談。社公から自公へ戻る方針決まる。
◇
創価学会・公明党がどうなるかは、自民党の派閥や政局もからむ問題であった。そのことは公明党側も自民党側もよくわかっていた。6月30日に、権藤さんが小沢一郎官房副長官にこんなことを伝えて欲しいと言ってきた。 「大橋問題をこじれさせた後、学会内部でかなり動揺が出ている。矢野委員長は一時期、学会や党のゴタゴタを吹っ切るためにも、早期に解散に追い込んだほうが得策かと考えていたふしがあったが、学会も選挙態勢をとても取れたものではない。そこで、年内解散も同時選挙も避けたい」
しかし、衆議院の委員会段階で税制改正法案を強行採決すれば、「解散」の可能性が高い。税制の抜本改正を自民党単独強行採決したと新聞は徹底的に批判する。社・共が勢いづき公明も社会党に必ず引っ張られるからだ。
――こう私が分析すると、権藤さんは7月4日に小沢さんをある学会幹部に引きあわせることを明かし、次のように頼んできた。
「わかった。小沢さんからそのことをよく相手に説明して、審議に参加するよう、よく納得させてほしい。特に小沢さんには、公明党を動かすために福祉問題で画期的なことを実施するといってほしい。それに学会はいま世間から冷たく見られているから、何か目立つことで評判を良くしようという動きがあり、『平和の問題』に関心が強い。だから防衛費を拡大させない、これをうんといってもらいたい」
大橋問題は結局、本人から出された学会の運営などについての質問主意書に対し、政府が答弁書を出したことで一応の決着が付くことになる。
最大の論点だった「代表役員でない池田大作名誉会長による学会の支配が宗教法人法違反にあたらないか」との問いに対し答弁書は、「責任役員と代表役員による事務の決定と総理(統一管理)に従って管理運営が行われる限り、同法違反に該当しない」との見解を示したのだ。
これによって、大橋問題が巻き起こした波紋は、消費税法の審議に影響を及ぼす寸前で、かろうじて収まった。
消費税に公明党を乗ってこさせるためには、ポイントが二つあった。一つは、老人医療の問題で、公明党が力を入れていた「ゴールドプラン」を自民党が採り入れて、翌年度の予算で4000億円増やしたこと。
もう一つは、消費税法を成立させる条件として、国会周辺の右翼の街宣活動による騒音を防止する法律を改正し、対象地域を国会周辺だげから、政党本部にまで拡大したのである。これにより、それまで街宣活動の騒音に悩んできた信濃町の公明党、創価学会が大いに助かったのだ。
こうして不十分なものながら消費税が導入されたのだ。あの法律を成立させていなかったら、その後の日本はやっていけなかったはずだ。消費税制度ができたのは、公明のこうした政策判断や国会対策、何より大橋問題の始末ができたことが大きかった。
(平野貞夫『公明党「汚れた裏面史」全真相』『現代』2004年5月号)
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